片山杜秀+山崎浩太郎『平成音楽史』を読む

 片山杜秀+山崎浩太郎『平成音楽史』(アルテスパブリッシング)を読む。聞き手が田中美登里となっていて、これは衛星デジタル音楽放送「ミュージックバード」の121チャンネル、「ザ・クラシック」で2018年8月19日に放送された4時間番組を本に起こしたものなのだ。片山と山崎が対談し、田中が司会をしている。書籍化に当たって改めて二人の対談を追加した。
 平成の30年間に関するクラシックの動向を二人が語っている。片山より山崎が学年で1年上で、早稲田の学生のとき、慶応に凄い奴がいるって噂が伝わってきたという。それが片山だった。なるほど、さもありなん。
 音楽評論家の宇野功芳について、山崎が司馬遼太郎に似ているという。片山が宇野について、B級的な感性の人だと思っていたら、その後サブカルのシェアが大きくなっていくにつれて、むしろ宇野功芳が大権威化していく。吉田秀和的な価値観とは別に、宇野的世界が立派なものとして成り立ってしまう、という。
 山崎が、司馬遼太郎も1980年代までは、あれはあくまで小説だから真面目にとってはいけないという感じで、アカデミックな歴史学とは厳然と区別され、放っておかれたのがいつしか逆転して司馬史観なんて言葉ができて、疑似学問みたいになっていく、という。そして、司馬も宇野もサブ・カルチャーだという片山に同意している。私も深く納得した。極論すれば司馬も宇野もどこか胡散臭かった。
 39年かけてベートーヴェンンのピアノ・ソナタ全集を完成させたポリーニに対して、山崎はポリーニは「いま、正直無残」と言いきり、片山は「ボロボロな駝鳥」という。
 早くからソロを辞めて室内楽やコンチェルトに絞って、独奏はちょっとしかやらないアルゲリッチを、片山は弾ける曲で徹底的にやってすごいと思わせる、感動すると言う。それに比べると、

片山  それにくらべると、ポリーニが39年かけて完成させたベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集は、最後のほうになると、なんというんだろう、《荒城の月》を思い出しますね。
(中略)
 39年たっても変わっていなかったというのが、ポリーニのイメージになるのかもしれないけれど、やはり最後になると、栄華をしのぶというか、荒城の月の美しさですね。つまり荒城でも美しいということはあります。……

 いまのポリーニは「荒城の美か」と総括する。
 新譜ではヴァイオリンのパトリツィア・コパチンスカヤが絶賛されている。チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をテオドール・クルレンツィスの指揮するムジカエテルナと共演している。片山の評「この人がまたとんでもない人で、クラシック音楽ファンはみな頭を垂れてしまう。参りました、みたいな」と。私も聴いてみたい。
 何やら怪しい話も語られる。セクハラをめぐる話題で、昭和期なんてとんでもないことがまかり通ったと、紹介されるその例がすごい。

片山  某有名大学の作曲科を女子が志望すると、某有力教授がその娘さんのみならず、お母さんも含めて、両方の体を要求するなんてことがあったという噂もききましたよ。これを親子丼ぶりと申していたわけです。

 つい、あの嫌らしそうな顔の作曲家のことだろうかと妄想してしまう。サントリーホールで演奏会が予定されていた国立音大の作曲の教授が演奏会の1週間前に覚醒剤で逮捕されたことがあった。あの時も弟子の女子学生から芋づる式にばれてしまったのだった。

 

平成音楽史

平成音楽史

 

  

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲/ストラヴィンスキー:バレエ・カンタータ「結婚」

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