東京西日暮里のHIGURE 17-15 casで「うるしプロジェクト」が開かれていた(8月20日まで)。「うるしプロジェクト」は、石井潤一郎、おーなり りゅうじ、梶原瑞生のユニット。
画廊には、数十セントの長さに切られた10本の丸太が置かれている。それは1本の木を切断したものだ。話を聞くとこれはウルシの木だという。ウルシの木は切れ込みを入れると樹液を出し、それを精製して漆を作る。やがて樹液の枯れたウルシの木は切り倒される。その切り倒したウルシの木がこれだと言う。切り倒されたウルシの木は根が残っているので翌年ひこばえが伸びて再生する。
「うるしプロジェクト」では伐採されたウルシの木に「漆」を塗って保存(作品化)している。漆を塗るのは、本来美しさを助長し、高級なものへと昇華するために行われる。このような丸太に漆を塗ることはありえない。それについて、
ウルシの木に漆を塗るプロジェクト――それは一見すると、とても無意味なことのように思えます。
――なぜ無意味なのか?
それは「漆は美しさを助長する、高級なものへと昇華するために使われる」といった、一般認識が存在するからではないでしょうか。
「見慣れたもの」を「見知らぬもの」に変えるのは、アートのひとつの作用です。(中略)わたしたちは実物を見る前から、「漆=美(あるいは美しいものに塗られている)」という思考を、無意識(無自覚)の上に作りあげているのかもしれません。
一方で、ロシア・アヴァンギャルドのシクロフスキーらによって確立された概念「オストラネーニエ(異化作用)」とは、ものを再・非日常化させることを意味します。
作品《漆塗りのウルシの木》は、原材料としての「うるし」を抽出され、破棄される「ウルシの木」に、人が手を加えて精製し、高価な素材となった「漆」を塗料として使用するというものです。無意味なもの、飾り立てても仕方のないものに高級塗料を使用する意味とは? ましてやそれが、素材を抽出した原材料であるとすれば? 行為は必然「ウルシからうるしを抽出する意味」に働きかけます。人はなぜ手間をかけて「ウルシ」から「うるし」を抽出するのでしょうか?
当然ですが、一本のウルシの木を「漆」で完全に保護するには、その木から採れたうるしだけでは賄いきれません。これは、一個人の消費するエネルギー量が、必ずしもその個人が生産するエネルギー量とは一致しない、資本主義経済の中で消費者生活を送る、わたしたちの姿にも似ています。
作品《漆塗りのウルシの木》は、自己に対する問いと矛盾を内包しながら、物質社会の価値転換を思考する、プロジェクトのアイコンとして機能するのです。
ちょっと難しい未消化の言葉だが、面白い視点で教えられるところがある。興味深く話を聞いたのだった。
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「うるしプロジェクト」
2022年8月5日(金)-8月7日(日)、8月12日(金)―8月15日(月)、8月18日(木)―8月20日(土)
13:00-19:00
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HIGURE 17-15 cas
東京都荒川区西日暮里3-17-15