長谷川宏『いまこそ読みたい哲学の名著』を読む

 長谷川宏『いまこそ読みたい哲学の名著』(光文社文庫)を読む。長谷川はヘーゲルの翻訳で評価の高い哲学者だ。本書で選ばれている哲学書12冊。
アラン『幸福論』
シェイクスピアリア王
デカルト方法序説
プラトン『饗宴』
論語
マックス・ヴェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
ルソー『社会契約論』
J. S. ミル『自由論』
ドストエフスキー死の家の記録
アウグスティヌス『告白』
パスカル『パンセ』
フォイエルバッハキリスト教の本質』
ボードレール悪の華
ウィトゲンシュタイン『色彩について』
M. メルロ=ポンティ『眼と精神』
 この『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を語る章において、長谷川は書く。

 聖書や『神曲』(ダンテ)や『キリスト者の自由』(ルター)や『キリスト教要項』(カルヴァン)など高名な書物にはじまって、著者名も著作名も見たことがないような無名の書物に至る、文字通り種々雑多な資料にわけいりながら、ヴェーバーの主張は首尾が一貫してゆらぐところがない。思考の蓄積の重さを思わせる事実だ。資料の読解と思索の深化のなかから、本書の基盤をなす、以下のような苛烈きわまるカルヴァンキリスト教思想が抽出される。

 人間のために神は存在するのではなく、神のために人間は存在するのであり、あらゆる事物は神の権威を神自身が顕示するための手段としての意味をもつにすぎなかったのである。地上の「正義」を基準として神の神聖な功業を測るのは、無意味であるばかりか、神の権威を犯すことである。つまり、神が、神のみが自由であり、……神が人間に自分自身を知らせることを善しとしないかぎり、人間は神の意志を理解することも、また知ることさえもできないのである。……あらゆる事物は……われわれの個人的な運命のもつ意味を含めて……測り知ることのできぬ神聖な秘儀のなかにかくされているのであり、それを探求することは不可能であり、また不遜なことである。……神によるすべての被造物は、超えがたい深淵によって神から距てられており、神がその権威の栄光を顕わすために別の決断をしないかぎり、永遠の死におとされるにすぎない。われわれが知りうることは、人類の一部だけが救われ、その他のものは永遠に滅びねばならぬということだけである。……神の決断は絶対不変であるがゆえに、その恩恵は、これを神から与えられたものにとっては取り消すことのできないものであり、神から棄てられたものにとっては、絶対に手に入れることのできないものである。

 全能・絶対の神にたいして、無力・無価値な人間と被造物たち。神の自由と人間の隷従。神の権威と人間の卑小さ。神の栄光と人間の悲惨。
 人類愛の宗教とか人間愛の宗教とかいわれるキリスト教とは似ても似つかぬ神のすがたが、ここにはある。神だけが自由で、人間はまったくの不自由。神と人間は深淵によってへだてられ、人間は神のことを理解することも知ることもできない。人間に要求されるのは、神へのひたすらなる隷属と屈従。
 それがカルヴァンの宗教思想の核心をなすものだとヴェーバーはいう。そしてそうした宗教思想こそが、16、7世紀のヨーロッパ資本主義の勃興期において、資本主義の精神なるものを育(はぐく)んだ、と。

 宇宙における人間の無力さを語っていると思えば、よく納得できる思いがする。
 ついでフォイエルバッハの項で、「個体としての人間と類としての人間が区別され、個体としての人間は有限だが、類としての人間は無限であり完全であるとされる。それがフォイエルバッハの人間観の土台だ。その人間観を動物との比較においてあきらかにしたのが以下の一文だ」として、フォイエルバッハの原文が引用される。そして、その原文に続いてこう書かれる。

 わかりにくい文章だ。が、ここは肝心の所だ。整理してみる。
 動物は意識がなく、したがって周囲の環境に浸って生きていくだけの「一重の生活」を送る。個体として生きているだけで、自分の類・自分の本質を意識することがない。
 人間はちがう。人間は個体として生きるだけでなく、自分の生活を、自分のまわりを、他人を、世界を、意識する。周囲の環境にべったりとつながって生きるだけでなく、そこから自分を切り離し、自分を、世界を、そして自分と世界との関係を、客観的ないし一般的に意識する。その意識が類の意識、本質の意識と名づけられる。かくて、意識をもつ人間は、個体として生きる動物的な外的生活のほかに、類や本質とかかわる内的生活を生きる。一重の生活を送る動物とちがって、人間には外的と内的の二重の生活がある。

 実は長谷川の推薦する12冊の哲学書のうち、私はこの『キリスト教の本質』と『眼と精神』の2冊しか読んでいない。『リア王』の芝居は見たが。せめて『プロテスタンティズムの〜』は読んでみよう。

いまこそ読みたい哲学の名著 自分を変える思索のたのしみ (光文社文庫)

いまこそ読みたい哲学の名著 自分を変える思索のたのしみ (光文社文庫)