会田誠『性と芸術』を読む

 会田誠『性と芸術』(幻冬舎)を読む。会田が23歳の時に描いた「犬」という一見倒錯的な作品について、ほぼ1冊を費やして解説している。「犬」は思春期の裸の少女を描いている。彼女は首に鎖を付けられ、両手は手首から両脚は膝から先が失われている。両手両足は切断されていて、包帯が巻かれ血が滲んでいる。少女の前には犬のエサの皿に魚の干物が置かれている。

 会田はこの絵のコンセプトを「低俗な変態画を、風雅な日本画で描こうとした」という。会田が学んだ東京藝大の油画科では、教授たちは講評会において暗に抽象画の方に行けと示唆する。

 会田ははじめ卒業する気がなかった。しかししばらく腰を据えて具象画を描きたくなった。そして大学院に進むことを決める。当時人気のあった先生は「もの派」に分類される現代美術の榎倉康二だった。榎倉は「無加工の綿布や廃油やコンクリートを用い」た作品を作っていた。ところが会田は、榎倉康二について行ってはいけない、彼の芸術に対する考え方は、彼の代で終わらせるべきだと思っていた(!)と書く。素晴らしい。

 そして大学院生になり4月の新学期早々に描き始めたのが「犬」だった。会田の反発した「榎倉康二的」あるいは「もの派的」あるいは「還元主義的」なるものとは、「今まで芸術が築き上げてきた約束を解体し、その荒涼たる瓦礫をあからさまに見せること」だった。会田は、そのようなものを志向する現代美術の王道一派を潰して起死回生を図ろうとした。

 会田は油画科に対する「西洋からの借り物」ではないかという疑問から日本画に興味を持った。しかし日本画の命脈は太平洋戦争とともに尽きていた。戦後にデビューした日本画家、その代表である東山魁夷平山郁夫について会田は書く。

 

……東山魁夷平山郁夫を、私の主観は「日本画の抜け殻」と見る。スタイルは踏襲しているが、魂は死んでいる。

 

 会田は、「惰眠を貪っている日本画を掻き回すこと」が喫緊の課題だと心に決めた。「犬」制作の第一義は、〈日本画解体〉あるいは〈日本画維新〉とでも呼びたい「出撃の狼煙」だった、と。

 狼煙で大切なことは「目立つこと」であり、避けるべきは「曖昧さ」だ。美少女もSMも四肢切断もそのために選ばれたモチーフに過ぎない、と。

 以上が本書前半の「芸術」の要約になる。後半は「性」と題されていて、こちらは「オナニー」を扱っている。会田はオナニーはセックスの代替品ではなく、人生の目的そのものだと大胆な主張をする。しかし、この項はここまでで後略とする。

 私は会田誠をミズマの専属になる前のギャラリーなつかの個展から見ている。会田誠の作品が好きなのだ。

 

 「犬」の作品はこちらのページを参照されたい。

https://que-sais-je.hatenablog.jp/entry/20130211/1360565746