会田誠の尾形光琳論

 会田誠が『ギャラリー』の巻頭インタビューで光琳について興味深いことを語っている(2015年2月号)。

−−  2月にはMOA美術館で開催される「光琳アート −光琳と現代美術−」に、旧作が3点展示されます。尾形光琳も作品の参考にしたことはあるのでしょうか。
会田  構図はあります。光琳はなんといっても構図の人ですからね。よく言われますが、実物を見ると筆に勢いがそうなかったり、何か弱点もあるのでしょうけれど、簡単な白黒コピーをとると、圧倒的な構図の良さが光ります。総合点では俵屋宗達のほうが良いけれど、構図においては宗達よりも強いのではないでしょうか。そういえば宗達は参考にしにくいかもしれません。感覚的に描く天才タイプだから。その点、光琳は計算タイプだから、努力型の凡人は参考にしやすい部分があります。

 会田の美術論は参考にすべき点が多い。以前読んだ日本画論もおもしろかった。日本画は春草の「落葉」に始まり、「落葉」に終わったと。

 僕は菱田春草の画集を見るのが好きです(僕が持っているのはポケット版ですが)。まず前半にえんえんと続く、朦朧体などの描法の変遷、および古今東西に亘る画題の変遷……。なんという試行錯誤の連続、〈近代日本美術〉の産みの苦しみでしょう。そしてその暗中模索の果てに辿り着く、あの『落葉』の清澄な境地……。僕はここでいつもアドレナリンが分泌されるのを感じます。「すべてを諦めきった後に残った、たった一つのかけがえのない充実……」。僕の頭にはこんな直感的な言葉が浮かびます。ここにはもはや日本や東洋の上っ面だけの美化や荘厳化はなく、しかし西洋への不自然な追従もありません。「これはほとんど日本の、明治の、あの社会システムの〈良心〉が絵になったような絵じゃないか……」。そんな言葉がふと口をついて出ます。明らかにこの時初めて〈日本画〉がこの世に誕生しました。そして盟友横山大観を含めて、この後誰がこの『落葉』を超ええたでしょう。だから僕の最も乱暴な日本画論はこうなります−−日本画は『落葉』に始まり、『落葉』に終わった−−。ページをめくるとアンコールの小曲『黒き猫』があり、その悲しい調べを残して突然幕が下がります。ああ、これは一体なんて画集なんだろう!

 これは会田誠『美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか』(幻冬舎)に掲載されている。山口晃の優れた仕事『ヘンな日本美術史』(祥伝社)の向こうを張った会田誠の日本美術史が読みたい。


山口晃『ヘンな日本美術史』を読む(2012年11月23日)
会田誠の『美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか』を読む(2012年11月27日)


美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか

美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか

ヘンな日本美術史

ヘンな日本美術史