細見和之『フランクフルト学派』を読んで

 細見和之フランクフルト学派』(中公新書)を読む。ドイツのワイマール時代にフランクフルトに設立された社会研究所、そこに結集したホルクハイマー、アドルノベンヤミン、フロム、マルクーゼたちをフランクフルト学派といった。多くがユダヤ人知識人で、マルクスフロイトの思想を統合して独自の「批判理論」を構築した。
 のちにアメリカで『自由からの逃走』がベストセラーになったエーリッヒ・フロム。写真や映画などの新しいメディアを論じるときの基本文献である『複製技術時代の芸術作品』の著者ヴァルター・ベンヤミン。『理性と革命』や『エロス的文明』などによって、60年代の新左翼の教祖のようになったマルクーゼ。大著『啓蒙の弁証法』を共同執筆したホルクハイマーとアドルノ。そのアドルノは戦後「アウシュビッツのあとで詩を書くことは野蛮である」と言っている。その言葉に影響を受けながら、パウル・ツェランは戦後最高の詩「死のフーガ」を書いた。ナチスドイツによるアウシュビッツの大量殺人をテーマに作られた難解できわめて優れた詩だ。アンゼルム・キーファーもこのツェランの詩から触発された絵画を制作している。アドルノはまた戦後も強い影響力を持っていたハイデガーを批判している。そしてフランクフルト学派の第2世代としてのハーバーマス
 個々の哲学者は何となく知っているものの、メンバーの関係がよくは分からなかったフランクフルト学派について、明快に整理されていて入門書として最適だろう。何から読み始めれば良いのかの優れた手引書でもある。
 キーファーの作品の理解のためにはツェランの「死のフーガ」は必読だが、この詩の冒頭9行とその解釈も載っている。(飯吉光夫訳)

夜明けの黒いミルクぼくらはそれを晩にのむ
ぼくらはそれを昼にのむ朝にのむぼくらはそれを夜にのむ
ぼくらはのむそしてのむ
ぼくらは宙に墓をほるそこなら寝るのにせまくない
ひとりの男が家にすむその男は蛇どもとたわむれるその男は書く
その男は書く暗くなるとドイツにあててきみの金色の髪マルガレーテ
かれはそう書くそして家のまえに出るすると星がきらめいているかれは口笛を吹き犬どもをよびよせる
かれは口笛を吹きユダヤ人たちをそとへよびだす地面に墓をほらせる
かれはぼくらに命じる奏でろさあダンスの曲だ


 まさしく音楽のフーガのような、たたみかけるようなリズムで、強制収容所ないしは絶滅収容所の現実を、この詩は深い暗喩とともに描き出しています。(……)強制収容所絶滅収容所に抑留されているユダヤ人たちには、殺され、焼かれ、煙となって空へ舞い上がる形でしか収容所から抜け出るすべはありませんでした。そして、収容所で1日でも生き延びるということは、その身代りに誰かが死ぬということにほかなりません。黒いミルクを飲み続けるという暗喩には、自分が生きることが誰かが死ぬこととセットであるような、収容所の現実が表わされているのだと私は思います。
 ドイツにあてて手紙を書くということには、収容所の位置が関わっています。以前に記したとおり、ナチス絶滅収容所ポーランドの占領地域に設置していました。ですから、そこに「勤務」しているドイツ人は、遠くのドイツにいる恋人や妻にむけて手紙を書くわけです。その宛名「マルガレーテ」は、ドイツ人女性の典型的な名前です。そんな恋人や妻にロマンティックな手紙を書く姿と、収容所で「ユダヤ人」を情け容赦なく殺戮する姿、その両方がここには重ねられています。この作品の背景にはさらに、ナチスが収容所で抑留者たちのなかから音楽家を集めて楽団を作り、音楽を演奏させていたという事実があります。たとえば、その演奏が続くあいだ、抑留者たちはひたすら走り続けるよう命じられ、倒れた者から順番に殺されたりしました。

 「死のフーガ」は全部で36行と長くはない。が、極めて重要で優れた詩だ。作者ツェランは両親を収容所で亡くしていて、自分も戦後自殺している。自殺と言えばベンヤミンも戦中フランスからアメリカに亡命しようとしてスペインとの国境でスペイン兵につかまり自殺している。ベンヤミンハンナ・アーレントの親しい友人でもあって、彼女はベンヤミンの遺言ともいうべき「歴史の概念について」の筆写稿のひとつを生前のベンヤミンから託されていて、アメリカへ渡るとき持って行ったという。
 とても気持ちの良い読書だった。まずベンヤミンから読み直してみたいと思った。