高橋純 編訳『高田博厚=ロマン・ロラン往復書簡』(吉夏社)を読む。副題が「回想録『分水嶺』補遺」とあり、高田博厚の回想録『分水嶺』を補完する内容。
彫刻家高田博厚は戦前の1931年(昭和6年)に渡仏し、以来1957年(昭和32年)に帰国するまで26年間フランスで暮らして日本に帰らなかった。回想録『分水嶺』を雑誌『世界』に連載したのが1974年から1975年にかけてだった。帰国して17年も経っていた。高田は日記や記録を付けていなかったということで、回想録は記憶のみで書かれている。それは見事な記憶力だが、当然記憶違い、思い込みによる誤りもあった。
小林多喜二が特高警察によって虐殺されたとき、フランスにいた高田は、日本からの匿名の手紙によってそれを知り、すでに懇意となっていたロマン・ロランに連絡して、フランス共産党の機関紙『ユマニテ』に抗議文を投稿してもらいそれが掲載されたと書いている。しかし、研究者が『ユマニテ』を調査したが、それが掲載された事実はなかった。
高橋純は、高田の回想録の真摯な内容から、それが根拠のないものではないのではないかと、フランスに行って様々な資料を調査する。その結果、ロマン・ロランの抗議文ではなかったが、『ユマニテ』に小林多喜二追悼文が掲載されていたことを発見した。
また、その調査の一環として、高田博厚=ロマン・ロランの未公開の往復書簡を発見した。ロマン・ロランあての手紙類は、フランス国立図書館のロマン・ロラン寄贈資料庫に所蔵されている。そこにロランから高田に宛てた手紙が収納されていたのだ。高田は第2次世界大戦中、ドイツがフランスを占領したのに伴い、日本大使館の要請でドイツへ移っていた。その後ドイツが降伏すると、アメリカ軍の収容所に移された。2年半ばかりの不在ののちパリへ戻ると、アトリエは没収されて制作中だった未完成の十余点の粘土作品は崩れ落ち、資料等はなくなっていた。大切に取ってあったロマン・ロランからの手紙もすべて失われていた。
それがどのような経過か、ロマン・ロラン寄贈資料庫に保管されていたのだ。それを発見した高橋純が、往復書簡集として本書にまとめ上げた。副題の通り、高田博厚の『分水嶺』を補完する内容として貴重で有意義な出版だと言える。『分水嶺』の読者には必読文献といっていいのかもしれない。
高田は1987年に87歳で亡くなっているので、この往復書簡の発掘を知らないでしまった。高橋の研究によって、高田の記憶の曖昧なところや、当時の高田の生活などが具体的に調べられている。関連するロマン・ロランの日記が抄録されているなど、高田博厚理解に欠かせない文献と言っていいだろう。
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