会田誠展「もう俺には何も期待するな」を見る


 1990年に朝日新聞社から発行された淀川長治『銀幕より愛をこめて』に「土人」の言葉が使われている。ヴァン・ダイク監督の映画『南海の白影』について、冒頭で船が難破して、波の音がし、そこへタイトルが出て、波の音が重なってザザァーン。

 と思って見ていると、そのエコーが何かメロディーになってきた。(中略)タイトルが消えて、大勢の土人が集まって舟を漕ぎ出した。

 ついでサマセット・モーム原作、ルイス・マイルストン監督の映画『雨』。

 外は雨。ザァーッザァーッザァーッ。そんな中を、遠くで土人が網を引いている。

 またヴァン・ダイク監督が撮った『トレイダー・ホーン』。アフリカ・ロケの映画。

 さぁ、その映画がやってきた。ドンドコドンドンドコドン、ドドンガドン。太鼓の音。土人の踊り。

 1991年には「土人」という言葉は使っても良かったのだろうか。朝日新聞が発行した淀川の本に3カ所堂々と印刷されている。
 このタブーと言っていい「土人」という言葉を会田誠は連呼する。
 市ヶ谷のミヅマアートギャラリー会田誠展「もう俺には何も期待するな」が開かれている(3月8日まで)。会田の個展ではあるが、映画が上映されている。会田が脚本・演出・編集を手がけた48分の映画『土人@男木島』というもの。一見ドキュメンタリー風につくられているが、フィクションだ。
 瀬戸内海の小さな島「男木島」に土人が現れたというので、テレビ番組の女性レポーターが取材に行ったというもの。ギャラリーのHPから、

本作《土人@男木島》は、過疎化が進んでしまった小さな島に謎の先住民(土人)が現れたという設定で物語が進行します。架空のクイズ番組のレポーターが島を訪れ、クイズを出題するという形式で土人たちの生活が浮き彫りになっていきます。

 ほとんど荒唐無稽なお話だ。突然現れた4人の男たちは原始的な服装をしており、言葉が通じない。民族学を研究しているという学者が登場して、約5万年前の原始人がタイムスリップして現れたのだと解説する。学者は彼らが日本人の先祖である証拠を指摘する。映画の中で土人と呼ばれている彼らは、山で木の葉(クズの葉)を採ってきて初対面の観光客などに渡している。これこそ名刺を配る日本人のルーツだという。また失敗した者をリーダーが叱責すると、叱られた者は棒切れで自分の腹を何度も打つ。これも切腹のルーツだそうだ。
 満月の夜になると何かが憑依して、土人たちは大地を相手にまぐわい=交尾をする。それで子孫ができなくて絶滅したと説明される。3人は大地に腰を打ち付けるが、1人は岩壁に対して行っている。翌日の昼間、レポーターが見てみると、地面には穴が空いており、岩壁さえも穴が穿たれている。バカバカしいほどのナンセンスだ。
 会田誠ミヅマアートギャラリーという現代美術のトップギャラリーで、なぜこんなナンセンスな映画を個展として発表したのだろう。
 六本木の森美術館で個展が開かれるほどの現代美術の花形画家のやることだ、単なる無意味な作品ではないだろう。「土人」という差別用語を使っているのも、ナンセンスなストーリーも計算の内だろう。
 会田は2011年、バルト海沿岸の国リトアニアで個展を行った。その時、会田は現地で映像作品を作っている。会田のエッセイによればその作品は、会田扮する「おにぎり仮面」がリトアニアの草原でウンコをしているのを撮ったものだった。しかし、「枯れ草がいっせいに激しく靡(なび)いて、肝心の地面近くの部分がまったく映っていなかった」ので、作品は個展会場で上映されたが、スキャンダルになることはなかった。
 会田はリトアニアでの個展でさえ、こんなパフォーマンスをやめないのだ。今回の個展の変な映画は、会田誠としては別に突飛でも何でもないだろう。それではこれは何なのか、どんな意味が込められているのか。
 思うに、会田誠にとって、美術は至高の価値を持った存在ではないのだろう。たいていの画家にとって、美術こそ彼が目指す究極の価値なのだ。一見アンチ美術を標榜したかのようなハイレッドセンターでも、美術の価値を疑ったことはないだろう。具体美術の連中でさえ美術は究極の至高の価値だった。会田誠にとってはそうではない。会田の制作を見てきた経験からそのように考えるほかはない。
 会田は本当は美術制作そのものがメチャクチャ好きというのではないのだ。ただきわめて絵が巧いので描いてはいる。それが高い評価を受けている。美術制作によって生活できている。それで絵画制作を続けているように見える。会田はふざけたこと、人をおちょくったこと、エロチックなことが好きなのだ。
 会田の個展は、1992年の谷中フルフル、1994年の同和火災ギャラリー、同年のなすび画廊を見逃しただけで、1996年のギャラリーなつかの「戦争画RETURNS」以来都内で行われたほとんどの個展やグループ展を見てきた。現代芸術研究所の「昭和40年会展」では床に数枚の落書きのようなドローイングを並べただけだったし、東京ステーションギャラリーの日本の若手作家を集めた展覧会には工事で使うブルーシートにガムテープを貼り付けただけの作品?を展示していた。
 会田は期待されるところでは好んで「外す」ことを繰り返してきた。それはおそらく会田が美術を至高の価値だと考えてはいないことの表明でもあり、同時に彼のシャイな性格の表れでもあると思う。そのことを踏まえてなお、会田が優れた現代美術家の1人であることは疑うべくもない。"外される"ことを覚悟の上で、会田の展示があればいそいそと見に行こうと思う。
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 上記で引用した会田誠のエッセイはこちらに紹介した。
会田誠の『美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか』を読む(2012年11月27日)
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会田誠展「もう俺には何も期待するな」
2014年1月29日(水)−3月8日(土)
11:00−19:00(日曜・月曜・祝日休廊)
映画は11:00から毎時00分より上映、上映時間48分、途中入場可)
入場無料
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ミヅマアートギャラリー
東京都新宿区市谷田町3-13 神楽ビル2F
電話03-3268-2500
http://mizuma-art.co.jp
外堀通り沿いで、市ヶ谷駅より徒歩5分、飯田橋駅より徒歩8分



美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか

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銀幕(screen)より愛をこめて

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