ときどき、不思議な軀がある

 吉行淳之介『鞄の中味』(講談社文芸文庫)を読む。吉行38歳から51歳にかけて書かれた短篇20篇を収めている。これらがとても完成度が高い。昔本書の単行本が出版されたとき、購入した記憶がある。瀟洒な箱に入っていた。

 さて、本書中の「百メートルの樹木」に気になる記載があった。

 

 ときどき、不思議な軀がある。昔、一度会っただけの娼婦で、強く印象に残っている軀がある。胸が素晴らしかった。咽頭から下ってくる繊細な線が適当な大きさの乳房になり、優美で気品があった。そういう胸と頸の上に、鈍重で平凡な顔が載っていた。もしもこの女の胸と顔との印象が反対だったら、違った人生を送ったかもしれない。

 

 これと似たことを風俗ライターの本橋信宏が『何が彼女をそうさせたか』(バジリコ)で書いていた。本橋は風俗情報誌でホテトルを探していて、あるページに目が止まった。掲載されている女性は見事というほかないスタイルである。「30歳の人妻。顔を隠しているので、美形なのかどうかはわからないが、シースルーの下着からあふれんばかりの肉体美はまちがいなく最上級である」。早速そのあかりさんを指名した。ホテルにやってきた女性は以前本橋が会ったことのある女性だった。

 

 写真でボディラインのすばらしさに見惚れて、私と接したことがあることに気づかずまた指名したのも、彼女の完璧な肉体美のせいであろう。(中略)

 下着になったあかりが風呂場に向かう。

 まるでミロのヴィーナスのような肉体である。高貴な肉体の上には、庶民的な顔が乗っかっている。そのアンバランスさがまたいい。家政婦役が似合いそうな女だ。廊下を磨いている家政婦だが、ふとかがむと胸の谷間がブラウスからのぞきみえてしまう。そんなシーンがあったら、まさにうってつけだろう。

 

  吉行が「ときどき、不思議な軀がある」と書いているように、ときどきはあることなのだろう。それを吉行と本橋が体験したのは、二人とも女性たちと数多く接しているからだろう。彼らに匹敵するのは私の友人ではI君くらいだ。同じような女性がいたか今度会ったら聞いて見よう。

 

鞄の中身 (講談社文芸文庫)

鞄の中身 (講談社文芸文庫)