山本容朗『人間・吉行淳之介』を読む

 山本容朗『人間・吉行淳之介』(文藝春秋)を読む。吉行が亡くなったとき、山本は吉行と40年近くつきあってきたことになると書く。国学院大学を卒業して角川書店に入って編集者となり、吉行の著書を担当する。角川を辞めてフリーの文筆業を始める。略歴には評論家とある。

 本書は吉行の文庫の解説や雑誌に吉行について書いたエッセイが9本と、亡くなったあと書いたエッセイが1本で構成されている。亡くなったあとのエッセイを除いてすべて吉行生前の発表で、山本は都度吉行にその本を送っている。だから、どうしても太鼓持ちのような内容になっている。

 しかし、自分のブログを検索してみたら、8年前にすでに読んでここで紹介していた。ほとんど覚えていなかった。まあ、読後感は変わらなかったが。その一部を再録する。

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 私はかなりディープな吉行ファンだから、吉行についてはずいぶん知っているつもりだったが、知らないことも多かった。山本は吉行のエッセイや作品などからエピソードを拾っているが、編集者として付き合っていたときに聞いた内輪の話も多い。ただ個人的なゴシップなどは避けているようだ。

 ではファンとして面白かったかと言われれば素直には肯定できない。興味深いエピソードが山ほどあるのに、それを料理する腕が下手なのだろう。短いエッセイが多いが、短いからといって構成に気を配らなくていいというわけにはいかないのだ。

 吉行のエピソードの一つに肺活量が大きい話があった。

 

 ある日、当時ラジオのプロデューサーをやっていた庄野潤三の大きなストップ・ウォッチで、呼吸を止める競争をやった。

 洗面器の水に顔をつけてのがまん比べ。島尾敏雄が30秒、安岡章太郎45秒、三浦朱門が1分弱。

 吉行の番になった。庄野がストップ・ウォッチで5秒おきに大声をあげる。

「1分30秒」と声がかかっても、吉行は顔をあげない。2分をすぎたころから記録係は顔も紅潮し、秒読みの声も興奮気味。見ている仲間もカタズをのむ。

「2分15秒」と庄野の声が少しふるえて聞こえると同時に、吉行がゲラゲラ笑いながら顔をあげた。

「まだ続きそうだったが、つい吹き出してダメだった」

 というのが、吉行の声。記録は2分20秒。

 

 

 私も高校生のときに息を何秒止められるか一人で実験した。2分くらいまでが苦しかったように思う。体を前後に揺すって耐えていたが、それを過ぎるともう苦しさはなくなって、もっと長続きしそうな気持ちになった。2分30秒を確認したとき、このまま気を失ったら死んでしまわないだろうかと思って恐くなった。実験をやめたとき、2分35秒だった。

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 さて、吉行が亡くなった翌日、山本は上野毛の吉行宅に弔問に行ったとある。歩きながら、この家へ移ってきた時の転居通知を思い出していた。

 

場所は、東急田園都市線上野毛」下車、駅の改札口の前の環状八号線を渡ると、信号機のところに多摩川へ向かう舗装した下り坂があります。その坂の途中右側で、入口は道に面していますが、建物は奥に引込んでいる家は一軒だけなので直ぐ分かります。

 

 それを頼りに私も旧吉行邸を見に行ってきた。意外と大きな家で驚いた。なるほど、吉行は人気作家だったのだ。表札は「吉行」と「宮城」が並んでいる。宮城まり子とは実質夫婦だった。吉行が最初に結婚した相手が離婚を拒否したので正式に入籍できなかった。でもなぜ没後27年も経ったのに変わらずそこにあるのか不思議だったが、左側の門柱に「ねむの木学園東京事務所所」とあった。ねむの木学園は宮城まり子が作った施設だった。そこが管理していると知って納得した。