吉行淳之介の家の前が上野毛通りで、道を隔てた反対側に上野毛自然公園がある。そこに「細い板の道が、何本にも別れて奥のほうへ伸びている」、「坂の上へ伸びている板の道も一つあって」、その板の道=階段は102段もあった。その公園のことを「みどり色の板の道」と題して吉行が書いている。(『吉行淳之介全集第14巻 エッセイ3』(新潮社)より)
ここに引っ越して、はやいもので二十年になってしまった。世田谷区上野毛の稲荷坂の途中の家である。
すぐ前が坂道で、かなり急な勾配を上りはじめると、隣家のとなりが神社、さらにそのとなりに途方もなく大きな石垣がそそり立って、およそ五十メートルほど坂の上までつづく。ここには二十五年ほど前、美空ひばりが小林旭と住んでいた。
向い側は、坂の上の蕎麦屋から坂の下まで背の低い石垣がつづいて、人家はない。この石垣の向う側も個人の広大な宅地だとおもっていたが、そこがじつは公園だと知ったのは十年経ってからである。
さっそく目の前の道を横切って、向う側に入り込むと、そこが公園の入口であった。『鳥獣捕獲禁止』という札が出ていた。
公園といっても、樹木が雑然と生えている山の斜面という感じで、地面を歩くことはできない。手摺の付いた細い板の道が、何本にも別れて奥のほうへ伸びている。すべて緑に塗ってあるその色が、褪せていた。坂の上へ伸びている板の道も一つあって、そこを上ってゆくと、きれいに整備された平たいスペースに出た。
その中央に辛夷の巨木があり、桜の木もたくさんあった。季節は春で、辛夷はたくさん花をつけていた。そのスペースにも、ほとんど人影がなかった。私はこの緑色の板の連なりが気に入ったが、年とともに上ると息切れがするようになった。
本エッセイは『やややのはなし』(文春文庫)にも掲載されている。