吉行淳之介『やややのはなし』を読む

 吉行淳之介『やややのはなし』(小学館)を読む。晩年の吉行のエッセイを集めたもの。具体的には昭和57年から平成3年にかけて発表したもの。吉行は1994年に70歳で亡くなっているから、60歳前後のものだ。短いエッセイが49編集められているが、これらがみな面白い。短いエッセイがみな面白いなんてさすが晩年の吉行だ。
 「美人六百年周期説」の冒頭、

 17、8年前になるか、「あの男は、ゲテ好みだ」とか、「あの男が美人だと言う女に、ロクなのはいない」とか、私はしばしば言われており、その言い方はかなりはびこって浸透していた。

 とある。そういえば私も中学生くらいの息子がいるある女性画家のことを、彼女美人ですねえと言ったとき、話し相手の画家Tさんが、え、あれが? と言ったので傷ついた。後日別の場所で数人の画家たち(すべて男)の前で同じ話をし、Tさんから、あれが? と言われたことを披露すると、全員がTさんと同じ反応をした。私の美意識もおかしいのだろうか?
 「ある奇術師の言葉」というエッセイ。吉行が評判の奇術師アダチ龍光と対談したときの話。昭和天皇の古希の祝いのときに宮中へ呼ばれて天皇の前で手品をした。その報酬について、

「変な話ですけれど、そのときの報酬といいますか、御下賜金といいますか、お車代というか……」
「向うは水引が違うんですよ。白と赤じゃなくて、宮中のは白とグリーン。アダチ龍光と書いてあって、殿も様もない、そりゃ、向うが上だもの」
「上は上だけど」
「金一封、2万円入っていました……」

 古希ということは1978年だろうか。当時の2万円は安くないだろうか。今だったら5万円程度に相当するかもしれないと考えれば妥当な金額か。まあ、宮内庁が金額を決めるのであって、昭和天皇が指示したことではないから。
 「ウイスキー」という章で、酒量の話がでてくる。

「斗酒ナオ辞セズ」などという言葉があるように、英雄豪傑は必ず大酒飲みで、たくさん飲めるほど人間としての器量が大きい、という考え方が根強く残っている。
 しかし、これは迷信なのだ。もう一度繰返すが、酒を飲めない大人物はいくらでもいる。もっとも、ここらあたり微妙なところがあって、大き過ぎるペニスは不自由だということはわかっていても、一度はそういうものを持ってみたい、という心持に似たところがある。

 本書の掉尾を飾っているのが「川端康成その円弧と直線」という康成論。昭和文学全集の解説として書かれたものらしい。康成の処女作を『ちよ』だとして、それは初恋の女への想いだという。その円弧を閉じるのが『みづうみ』である。円弧の上辺から垂直に伸びてゆく線が生まれて、『眠れる美女』『片腕』『たんぽぽ』だという。この直線の基点が『禽獣』だ。

『禽獣』は名作の評価高いが、その酷薄さ残酷さについて強調されすぎるところがある、と私はおもう。たしかに、康成の見え過ぎる眼は、自分の心の動きと無関係に対象を見てしまうところがある。しかし、それを書き記すのは、自分のやさしさに苛立ち腹を立て、それを放棄したためである。そういう意味でも『禽獣』は晩年作の先行作品といえる。

 吉行の作家論をもっと読みたかった。


P+D BOOKS やややのはなし

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