吉行淳之介『懐かしい人たち』(ちくま文庫)を読む。単行本が出た1994年に読み、ちくま文庫になった2007年に読み、今回が3回目になる。吉行は何度読んでもいい。
本書は過去の随筆集から抜き出したもので、「一つの方針があって、追悼文もしくはすでに故人となった人たちとの交友に限定してある」という。そして本書(単行本)発行の3か月後に吉行も亡くなった。
森茉莉は吉行のパートナー宮城まり子と親しかった。森茉莉の葬儀での宮城まり子の弔辞、
『ある日、森茉莉さんから電話がかかってきて、「ジャーというの、知ってる。トマトを冷やして食べようと、ジャーというのを買ってきて、トマトを3つと水を容れておいたの。1週間、1カ月、1年と経ってしまって、こわくて開けられないけど、どうしようか」と相談されたので、「それ開けないでね、開けたら駄目よ」と言って、いそいで新しいジャーにトマトを容れて持って行きました』
「島尾敏雄の訃報」で、島尾とは35年近いつき合いだったと書く。亡くなって、島尾敏雄は私(吉行)より7歳年上だが、何月生まれだったろうと調べると4月18日生まれと出ている。同じ4月の5日違いと初めて知って(吉行は13日生まれ)、「あと7年かな」意味なくそうおもったりしたが、69歳というのはまだ早かった。
島尾が亡くなったのは、1986年、吉行は1994年に亡くなっている。島尾が亡くなって8年後だった。
開高健はサントリーのPR誌「洋酒天国」を作った。この雑誌は、芥川賞に匹敵する彼の手柄である、と吉行は評価する。そこに開高はロアルド・ダールの「味(テースト)」という短篇を翻訳して載せている。
……この「味」という短篇をあらためて読んでみると、いわゆる食通がブドウ酒の銘柄を当てようと全身舌になってしまうところの描写は抜群で、さながら開高健の語り口をきく気分になった。しかし、この複雑微妙な短篇をくわしく読むと、結局いわゆる味覚の通という存在を90パーセント認め、残りの10パーセントでそのいやらしさを手厳しく拒否している。
開高健とのつき合いは、とりとめのない形で30年余り続き、その集大成として2冊の対談集を遺して終わった、とある。その2冊は、『美酒について』と『街に顔があった頃』で、吉行は気に入っているらしい。では今度読んでみよう。