吉行淳之介『やわらかい話』を読む

 吉行淳之介『やわらかい話』(講談社文芸文庫)を読む。副題が「丸谷才一 編、吉行淳之介対談集」。前回読んだ『やわらかい話2』の前編。タイトルどおり艶な対談を集めている。

 

 最初の対談相手金子光晴は詩人、対談時79歳。

 

吉行  (……)ところで、金子さんはどうですか。ぼくはいま50ですけどね、ちょっと女関係が億劫になってましてね。立てれば、立ちますけど。

金子  ふむ。

吉行  40までは、こんなに助平でいいのかしらんと思ったことがありましたが、ちかごろは、ときどき、気が乗らないときがあるんです。金子さんは、おいくつくらいからですか、そんな気分に、億劫になられたのは。

金子  ぼくはね、まだならない。

吉行  まだならないんですか、しかし、大々的には、おできにならないでしょう。

金子  いや、できるできないは別なの。

吉行  あ、気持ちの問題ですか。気持ちは、これは別ですよ。

金子  別ですねぇ。気持ちの方は激しいんだけど、こっちは駄目。70の声を聞いたらもういけませんでしたね。ぶんなぐっても立たない。

吉行  70ですか。これはまたずいぶんもったねぇ。つまり、70の声聞いたらですね、突然駄目んなったんですか。ジワジワと駄目んなったんですか。

金子  ある日、突然にという意味ですか。

吉行  はあ、バイロン卿のようにですな。

金子  やはり、じわじわです。でもね、うまくいけば、なんとかなりますよ。条件がよければね、相手もその気になってくれて、そろりそろりとこういけば。でもね、今、立ったら怖いよ、かえって。ぽっくりいく可能性非常に大ですからね。

 

 寺山修司は詩人で劇作家。対談当時33歳。

 

吉行  (……)きみ自身は、日記つけてる?

寺山  つけませんね。

吉行  ぼくもつけないんだよ。

寺山  男で日記つけるなんてやつは、すべからくダメですね。きっと、喫茶店に行って、いい年して「ミルクちょうだい」というようなやつだ(笑)。

 

 実は私は日記を付けている。それももう58年間になる。もっとも古い日記は残っていないし、パソコンにつけていた日記はパソコンの故障とともに消えてしまった。だからせいぜい10年間分しか残っていない。ただ日記を付けることは習慣になっている。私はダメな奴なんだ。でも喫茶店で「ミルクちょうだい」なんて言わないけれど。

 開高健は作家。対談時は54歳。59歳で食道がんで亡くなった。

 

吉行  (……)こうして思い出してみると、浅草がブルーフィルムと花電車、それから新宿が、お座敷実演ね。銀座が街頭で売る写真。やっぱり地域差があったよ。

開高  銀座の写真というのは、有楽町のガード下かなんかで売りつけるやつ……?

 

 私が昔屋台をやっていたとき、仲間のショバが川崎南町だった。南町にも写真を売る商売の者がいて、酔っぱらい相手に売っていた。ちょっと暗い所で白黒の写真をぱらぱらってして見せる。足が絡み合っている。でもそれは大相撲の写真だった。

 開高はびっくりするようなエピソードを披露する。浅草で見た実演で、女があそこに墨汁をひたした筆をはさんで字を書いた。「寿」という字だった。それを千円でもらってきた。

 

開高  (……)翌日、重役の一人に見せる。「これは篠田桃紅さんではないさる女流の名筆で、莫大なゼニを払って戴いてきましたが、このまま新年の全紙広告に使おうと思います」なんて言ったわけよ。「男の強い手首で書いたみたいで、達筆でしょう」とか念を押してね。すると重役も「女にしてはなかなかすごいなあ」なんて感心するんだワ。

吉行  たしかに名筆には違いないものね。

開高  それからが大変。黒地に白抜きしてみたり、白地に墨のせにしてみたり、アミをかけたり、朝・毎・読、一紙ごとに変えましてね、全紙広告に仕上げてしまった。全紙いっぱいにたった1字「寿」とおき、ワキに、

 「まためぐりくる

  王城の春に捧げる

  この無声歓呼」

などと書いてね。これが元旦、全部に出たわけです。……

 

 開高健、なんて悪い奴!