山梨俊夫『絵画逍遥』を読む

 山梨俊夫『絵画逍遥』(水声社)を読む。山梨は長く神奈川県立近代美術館に勤め、現在は国立国際美術館館長。神奈川県立近代美術館で3回開かれた田淵安一展の企画は山梨だったと思う。早川重章展もジャコメッティ展も。かつて読んだ山梨の『現代絵画入門』(中公新書)はきわめてすぐれた著書だった。それで期待して読み始めたが期待以上の内容だった。
 最初に「雨」という章があり、雨を巡って、牧谿、広重、須田国太郎、川合玉堂、福田平八郎、熊谷守一と言及され、海老原喜之助で締められる。アクロバティックでしかも絵画に沿った記述で優れた手品を見るようだ。
 次の「鴉」の章でも、山口薫、与謝蕪村ゴッホと書き継がれる。「見えないことへ」という章ではクレーと田淵安一が引かれている。ロスコの項で次のように書いている。

50代半ばになった1957年から、彼の色彩は、明るい色調のなかでさえ翳りを宿し重くなる。色を物質的実体そのものとして扱うロスコの絵には、そのころから青もまた、色彩の実体として姿を現わす。

 「見ることの特権」の章は中でも白眉だと言える。「見ることと描くことは別の経路を必要とする」。

現実の物質的存在を別の存在として絵画の平面に移し変えるためには、情報を選択し、ただひたすらに外界に向けられる眼とは異なる、絵画を組み立てるもうひとつの視覚を働かせねばならない。その選択の基準は、外界から受け取る視覚情報に左右されるよりも、何を描くかの画家の意図に支配される。線をもって描くか、色彩をもって描くか。

 そして3人の画家が呼び出される。セザンヌ、モネ、ジャコメッティだ。この項の追及は本当に見事なものだ。「セザンヌは世界の内部から発現する色彩を、モネは光と対象が衝突して現象する色彩を、ジャコメッティは対象の内部を透視して抜き出される線を手立てとして、眼差しの作用は、存在の内側へと貫かれ、また存在の瞬時の表われを逃さない」。
 「風景を開く3つの要素」では、レンブラント渡辺崋山から岸田劉生、ダール、長谷川等伯菱田春草モンドリアン、木下藤次郎、藤島武二、コンスタブル、クールベと書き継がれる。
 「線を引く」の項では、クレー、マティス、ベン・ニコルソン、ジャコメッティ、サイ・トゥンブリが引用されている。
 どの原稿もどこかに頼まれて書いたのではなく、自由に書き綴ったもので、本書が初出とのことだ。マスコミは今までどうしてこんな優れた書き手を放っておいたのだろう。

 

山梨俊夫『現代絵画入門』を読む、すばらしい!
https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/20130110/1357744431

 

絵画逍遥

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