山梨俊夫『現代絵画入門』を読む、すばらしい!

 山梨俊夫『現代絵画入門』(中公新書)を読む。きわめて優れた現代美術論だ。いままでこの優れた美術批評家を知らなかった不明を恥じる。山梨は長く神奈川県立近代美術館学芸員をしていた。調べてみたら、同館で行われた田淵安一展も早川重章展もジャコメッティ展もみな山梨の企画だった。
 本書の副題は「二十世紀美術をどう読み解くか」、このとおりの内容だ。山梨は第1章「絵画の変身−絵画の自立」をマレーヴィッチから始める。ついで「空間の物質化」としてブラックが語られる。「20世紀の絵画は、大きな底流として、それ自体が物質的な存在として自立している事実を抱えながら成立してきた。絵画は絵画であり、それ以外でなく、そのことが絵画の最大の強みであることをあからさまに表明してきたし、いまもそれは変わらない」。
 第2章は「場としての美術−絵画の向こう」と題されている。

 絵画が、そうして、仮説的な場としての地に図を描くというあり方を変容させて、現実の空間に乗りだしていくとき、地はむしろ、画家が働きかける実際の場として捉えられる。では画家は何に働きかけるのか。もちろん絵に対してであり、絵を実際に成り立たせる画布や絵具といった画材に対してということになる。地、ないし場は、物質に保証されて、仮構ではなく現実として現れる。そして、画家はそういう場に降り立って、絵画の向こうにあるものに対し絵画を通して働きかける。
 物質だけに着目して言えば、絵画は、画布や絵具といった物質の外見や様態を変更して成立するにすぎないが、そういう地平を突き抜ける画家の意図こそ、質的な部分で絵画をつくっていくのである。意図のひとつひとつが、絵画のひとつひとつを変えていく。絵画の向こうにあるものを目指す画家の意図が、物質として存在する絵画という場で実現する。絵画はそういう仕組みをもつ。

 まずシュヴィッタースの「メルツ絵画」が取り上げられる。ついでデュシャンの仕事がていねいに分析される。続けてヨーゼフ・ボイスだ。ボイスのあとにバーネット・ニューマンが紹介される。なるほどと思わされる。
 第3章は「イメージの崩壊と再生−リアリズムの変容」となっている。キルヒナーが語られ、ゴーガンからノルデにつながれ、フランシス・ベーコンが取り上げられる。そしてジャコメッティがきて、キーファーで結ばれる。なんというアクロバティックで同時に正統的な美術史だろう! 息を飲んで読まずにはいられない。
 最後の第4章は「モダニズム絵画の論理」となっている。マティスが大きく取り上げられる。モンドリアンが語られ、ロスコが言及される。この第4章については、「むすび」に端的にまとめられている。

 第4章の絵画のモダニズムは、20世紀的な絵画の現われにさまざまに観察される。モダニズムを単に現象としてだけでなく、基本的な質だと考えるなら、このささやかな書物で語ってきた絵画の根本的なあり方が変わらないかぎり−−そしてそれは、資本主義体制の高度に発達した産業社会に 根を生やしているから、社会の大きな転換がないかぎり変わらないだろう−−、絵画が抱えこんだモダニズムの性格は消えることがない。言い方を変えれば、モダニズムとは、20世紀絵画を包む網でもある。

 なんと見事な現代美術論だろう。この後読んだ坂崎乙廊『みたび絵とは何か』(河出書房新社)が、美術論というにはあまりに情緒的で、読み進めるのが多少なりと苦痛だった。とくにギュスターヴ・モロー論が。40年前、あんなに夢中になって読んだ坂崎乙廊の美術論に、こんなに否定的な感想を述べざるを得ないのは、本当に優れた山梨俊夫を読んだからに他ならなかった。
 山梨俊夫『現代絵画入門』をこれから何度も読み直そう。


みたび絵とは何か

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