草薙奈津子『日本画の歴史 近代篇』を読む

 草薙奈津子『日本画の歴史 近代篇』(中公新書)を読む。先に読んだ「現代篇」同様、いやそれ以上に満足した。副題が「狩野派の崩壊から院展・官展の隆盛まで」というもの。近代日本画の歴史がよく分かった。文章も簡潔で明快、分かりやすい。
 「明治・大正の南画」の章で富岡鉄斎を高く評価する。外国の人々の言葉を引く。パスキンは近代日本画壇の持つ唯一の世界的な画家と言い、ブルーノ・タウトセザンヌを連想すると言った。マリオ・ペドローサは鉄斎はゴヤセザンヌとともに19世紀の世界3大画家の一人だと言い、J・ケーヒルは極東が過去数百年の間に産んだ最も偉大な芸術家と評した。私も50年近く前に東京国立近代美術館の常設展で鉄斎の屏風を見ていっぺんにファンとなったのだった。
 「忘れられた明治の日本画家たち」の章で、河鍋暁斎(海外に知られる鬼才)と渡辺省亭(初めて渡欧した日本画家)、松本楓湖(紫紅・御舟・青樹らを育てる)などが紹介される。小堀鞆音もここで近代歴史画の父として語られる。鞆音は小堀令子の祖父であり、安田靫彦の師でもある。ほかに梶田半古や荒木寛畝、幸野楳嶺、久保田米僊などが取り上げられる。
 次の章でフェノロサ狩野芳崖、橋本雅邦が語られ、次いで「岡倉天心日本美術院の画家たち」の章に続く。天心らが東京美術学校の設立に尽力し、天心は初代校長になったが、やがてその職を解かれ、弟子の横山大観、下村観山、菱田春草、西郷孤月らとともに日本美術院を作る。本書では語られていないが、弧月は師橋本雅邦に気に入られ雅邦の娘と結婚する。しかしモテ男だったため浮気をし、雅邦から離縁をされる。日本美術院を離れた弧月は地方を流れ歩き、不幸な最後を遂げる。私の娘の祖母が弧月の縁戚だったので私もこのあたりに詳しい。むかし松本市の城山にあった西郷家の墓に詣でたものだった。
 次の章が「日本美術院第二世代の台頭と活躍」として、今村紫紅安田靫彦小林古径前田青邨が取り上げられる。1930年にイタリアのローマで大々的な日本画展が開催された。大観が中心となって行われ、御舟、川合玉堂竹内栖鳳などが出品した。同じ年観山が亡くなり大観が日本画の頂点に立った。
 最後の章で「官展の歩み」として東京画壇と京都画壇が詳述される。東京の川合玉堂、京都の竹内栖鳳山元春挙、菊池契月ら、そして川端玉章が取り上げられる。美人画家たちとして、上村松園鏑木清方伊東深水が紹介される。その松園について、草薙は優しい眼差しを向ける。

基本的に松園の作品から哲学性や、高度の精神性を感じ取ることは難しいかもしれませんが、その作品を貫く美しさ、清澄さ、優しさ、真面目さ、それに技量の高さは、絵画鑑賞における基本的なものではないでしょうか。そこが松園の人気を支えているのです。死の直前、1948年、女性として初の文化勲章を受章しています。

  考えすぎかもしれないが、草薙が松園に寄せる優しい眼差しから、草薙も経験したであろう社会の女性蔑視に対する悔しさを推測できると言ったら忖度し過ぎだろうか。
 「近代篇」「現代篇」を合わせれば、近代日本画を学ぶ基本文献がそろったと言えるだろう。気持良い読書の時間だった。