岡倉天心宅跡を見る

 東京台東区谷中へ初めてのギャラリーを探しながら行ったら、ふいに岡倉天心宅跡があった。そこは小さな公園になっている。入口に東京都教育委員会が作った看板が立てられていた。

東京都指定旧跡
  岡倉天心宅跡
  旧前期日本美術院
    所在地 台東区谷中五丁目7番
    指 定 昭和27年11月3日


 日本美術院明治31年(1898)岡倉天心が中心になって「本邦美術の特性に基づきその維持開発を図る」ことを目的として創設された民間団体で、当初院長は天心、主幹は橋本雅邦、評議員には横山大観、下村観山らがいた。
 活動は絵画が主で、従来の日本画の流派に反対し、洋画の手法をとり入れ、近代日本画に清新の気を与えた。
 この場所に建てられた美術院は明治31年9月に竣工した木造2階建で、南館(絵画研究室)と北館(事務室・工芸研究室・書斎・集会室)からなり、附属建物も2、3あったと言われている。明治39年(1906)12月に美術院が茨城県五浦(いずら)に移るまで、ここが活動の拠点となっていた。
 昭和41年(1966)岡倉天心史跡記念六角堂が建てられ、堂内には平櫛田中作の天心坐像が安置されている。
   平成11年3月31日  建設
       東京都教育委員会





 公園の奥には小さな六角堂があり、格子窓から覗くと、立派な岡倉天心像が鎮座していた。