酒井忠康『遠い太鼓』を読む

 酒井忠康『遠い太鼓』(小沢書店)を読む。副題が「日本近代美術私考」で、日本の近代美術について主に1980年代に書かれたエッセイをまとめたもの。セオドア・ウオレスからジョルジュ・ビゴー、中村彝、萬鐵五郎、村山槐多、小出楢重藤島武二佐伯祐三三岸好太郎松本竣介、朝井閑右衛門等々を取り上げている。
 藤島武二の「台南風景」の制作年が1935年とされていたのを、1933年の作ではないかと実証的に推理している。
 佐伯祐三について、「佐伯祐三といえば、パリを描いた画家として、日本では非常に名前の知られた画家のひとりである。しかしフランスの美術界では、おそらく無名の画家であろう」とあって驚いた。「佐伯が、いかにすぐれた画家であっても、また、日本で高い評価をえていても、世界的な視野のなかでとらえられることはなく、少なくとも、今日まで、佐伯がそういった意味での、正当な評価をえる機会はなかったといっていい」と言う。
 「大正期の水彩画」の項では、日本における水彩画の最も盛んな時代は明治30年代後半から40年代前半までであると書かれている。水彩画の普及と画家たちの動向が紹介されるが、その後は「いずれにしろ、大正期の水彩画は昭和に入って水彩画と油彩画の「描法」を結び付けて不透明画法の新局面を開く中西利雄のような画家の登場までは沈滞、下降の状態におかれたと考えていい」と結ばれる。
 小出楢重の絶筆「枯枝のある風景」について、詳しく書いている。これは不思議な絵なのだ。


(……)高架線の上で工事をしているらしい人物がシルクハットをかぶっているというのも妙な気がしたが、さりとて鳥でもなく、体重10貫500匁(約40キロ)の画家がひょいと飛び乗ったにしては、あまりに剽軽すぎる。(中略)
 画面の下半分の空地には3本の丸太がからみあうように横倒しにころがっている。上半分には鉄柱が立ち高圧の電線が彼方の夕映をさえぎるようなぐあいに描かれている。こじつけの興味でいえば、此岸と彼岸の対比を読みとれる。(中略)空地の丸太は私小説ふうに解すると、自己をふくめた家族(妻と子)であると同時に、近代的な実在感を絵画に求めたものの仕事=作品を暗示している。けっして想像力のかちすぎた画面ではないが、何か異様な気配を感じさせる。それは多分に超現実の世界(事実、シュルレアリスムに関心をもっていた)といっていい。(中略)
 わたしは自分の目で、いくども高架線に乗っかった人物を消そうとしたが、そうすればするほど容易でない事態が生じて厄介なことになる。これは単なる風景ではない、かといって画家の気ままな随想の産物でもない。あきらかに自覚的な現実との対応から生じていて、恐ろしい仕掛けが秘められている――そう考える以外にありえない作品と化すのである。小出楢重という画家のひそかなる復讐といえるかもしれない。

 これでこの絵の謎が解決したわけでもない。3本の丸太は「自己を含めた家族(妻と子)」とも考えられるのか。山本弘にもこの絵に触発されたとおぼしい「伐木」という作品がある。山本の「伐木」は2本の丸太がごろんと描かれているのだが。



山本弘「伐木」


遠い太鼓―日本近代美術私考

遠い太鼓―日本近代美術私考