古田亮『横山大観』を読む

 古田亮『横山大観』(中公新書)を読む。近代日本画の巨匠横山大観についてはあまり興味がなかった。しかし勉強のつもりで読んだのだったがこれがとても面白かった。「カラー版」とあり、大観の代表作がカラー図版で紹介されており、大観の伝記と併せて大観の作品について詳しく語られる。岡倉天心との関係や菱田春草との交友や影響関係なども。
 カラー図版は、まず「村童観猿翁」、猿回しの翁は師の橋本雅邦、村童は大観の同期の11人。「無我」は大観の事実上のデビュー作、抽象的な観念を表わしている。「屈原」は美術学校を追われた師の岡倉天心を重ねている。「山路」は紅葉した木々の葉が印象派のタッチを思わせると書く。
 「柳蔭」は横幅10メートルを超える大作、緑の柳葉が圧倒する。「秋色」は宗達光琳など琳派の様式を積極的に取り入れている。「喜撰山」については、やまと絵の景観図に通じる古様を帯びながら大観のオリジナリティが随所に見出せる、と。「群青富士」の単純で力強い構図。「生々流転」は全長40メートルの巻物。「夜桜」の見事な色彩。これはイタリアで開かれた日本美術展に出品された。「紅葉」の鮮やかな色彩、これだけ絢爛豪華な大作は他に例がないという。
 大観はしばしば富士を描いた。その富士について、

 橋川文三は、戦前期の状況について「天皇はたんに政治上の元首であるばかりでなく、万民の上に君臨する美的・倫理的権威として、日常生活の些細な徳目や審美眼にまで浸透、内在しうる原理であった」(「天皇感情についての断片」『橋川文三著作集 2』)と指摘しているが、まさに戦中に描かれた大観の富士は、その美的・倫理的権威の視覚化であったといえよう。
 実は、この原理は、本質的に戦後の日本でも変わっていない。戦後も、そして今日にいたるまで大観の富士が国民的支持を受け続けているのはその証左である。大観の富士とは、国家権力あるいは軍部主導の統治体制といった上からの権力を象徴するというよりは、戦時下にあってもむしろ、国民感情に支えられた権威の象徴だったということができる。戦後になると、天皇制じたいの読み替えがなされ、その権威は日常生活のなかに浸透、内在化していった。そのような大衆の精神性に存在する、見えない権威を眼に見えるかたちにしたのが大観の富士だった。そうであればこそ、戦後、新たな大衆は、それを引き続き、そのままに受け入れ、共感し、感動したのだろう。

 さらに、

……日本画を改革しなければならないと岡倉天心にしたがった明治期、彩管報国をまっとうしなければならないと先頭に立った戦中期、そして無窮を追う理想的絵画を描かなければならないとうったえた戦後期、とその時代ごとに違った色合いをみせている。大観を意志の芸術家と呼ぶにふさわしいのは、画家としてのそうした意志が各時代の作品中に色濃く反映されているからである。

 最後に著者は河上肇の思想と大観のそれを比べて見せる。「同時代には、河上のように、それに強く抗う異なる意志と道があったことを忘れてはならない。かき消された河上の言葉のうえに、大観によって表象された〈近代日本〉は成り立っていた。それを知ることは、この先、大観像や大観作品を単純なものとしないためにも重要な意味があるのではないかと私は思う」。
 さて、間もなく東京国立近代美術館横山大観展が始まる。それを見るのが楽しみになってきた。
 見事な大観伝であり大観論だった。読み終えて著者略歴を見ていると、古田亮は『日本画とは何だったのか』や『高橋由一』『俵屋宗達』の著者でもあった。先に私もそれを読んでこのブログにも紹介したのだった。きわめて優れた美術評論家だと思う。


古田亮『日本画とは何だったのか』を読む(2018年2月18日)
古田亮『高橋由一』を読んで(2012年5月21日)
古田亮「俵屋宗達」の大胆な主張(2010年6月17日)


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