鶴見俊輔『思い出袋』を読む

 鶴見俊輔『思い出袋』(岩波新書)を読む。これがダントツ素晴らしかった。新書だが内容はその分量の何倍も濃い。鶴見が岩波書店のPR誌『図書』に晩年7年間毎月連載した短いエッセイをまとめたもの。新書という小さな本に84篇、1篇が400字詰め原稿用紙約3枚の短さ。そこにこんなにも豊かな内容が押し込められている。
 満州派遣軍総司令官の大山巌は、総参謀長の児玉源太郎に仕事をさせた人として私の記憶に残っている、と鶴見は書く。

 児玉源太郎は、同時代の世界史でくらべようのないすぐれた軍人だった。19世紀のナポレオン、20世紀のヒットラーが負けたロシアを相手に、児玉の指揮した日本は負けなかった。それは児玉が、どういう世界状況の中で日本がロシアと戦うかについての見通しをもっていたからだ。
 ヨーロッパ留学の経験もなく、幕末からの変転する状況の中で、状況を読みつづけた児玉には、後代の軍人、そして官僚の、学習による知識とはちがう知恵があった。
 その時の頂点にある先進国の知識を最短期間に学習するという日露戦争終結後の日本の学校教育とは、一味ちがう判断力が児玉にはあった。それを受け入れた大山も、世界の状況から汲みとる力を備える同時代人だった。

 鶴見は片岡義男から「オール・タイム・ベスト」という言葉を教えられる。自分のこれまでに読んだ本のうち、今、心に残っているものをあげるということだ、と。2003年10月18日朝の鶴見にとってのベストは、

水木しげる河童の三平
岩明均寄生獣
宮沢賢治春と修羅
ウィルフレッド・オウエン「ソング・オブ・ソングズ」
ジョージ・オーウェル「鯨の腹の中で」
魯迅故事新編
司馬遷『史紀』
夏目漱石『行人』
トルストイ『神父セルゲーイ』
ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟
マーク・トウェインハックルベリー・フィン』
ウィクリフ訳『新約聖書
イシャウッド訳『バガヴァッド・ギーター』
ジェーン・オースティン『説きふせられて』
つげ義春「長八の宿」と『ゲンセンカン主人』

 ヤヒ族のイシと『ゲド戦記』の関係

……20世紀はじめに文化人類学者のアルフレッド・クローバーは、一族が死に絶えた後単身で都会に姿をあらわしたヤヒ族のイシに会って、彼を優れた人と認め、その暮らしかたと人となりを記述した。イシが亡くなり、クローバーが亡くなったあと、クローバー夫人は夫の遺稿からイシの伝記を書き、娘のル=グウィンは、イシの影のおちるファンタジーゲド戦記』を描いた。さらに最近、クローバーの息子ふたりがイシの伝記を取り上げた(Ishi in three centuries, 2003)。文明人による帝国主義国の中で、クローバー一家がイシの思想をついで文明批判を続けている。

 三島由紀夫が亡くなったとき、鶴見は新聞社から電話で感想を求められるのを避けて、近くの北野天満宮に出かけた。

 今もって私には、三島について感想をまとめにくい。敗戦後、「春子」などの作品に私はひかれた。やがて60年安保のデモのすぐあとに書いた「喜びの琴」にも共感をもった。右・左どちらかの感情の中に心を置かず、政治の中にあらわれる形を見る警官の造形。
 著者三島の起こした政治行動にはついてゆけない。だが、彼が自分をほろぼすしかたには、自分を超える姿勢が見える。自分を超えるその形を、私は、軽く見ることはできない。しかし、そういうことを、電話口で新聞記者に言ってもしかたがない。当日、私は三島の死について何事も言わなかった。
 30年余りたった今も、三島由紀夫への追悼の心はある。同時に、彼の政治思想にたいする金芝河のののしりをしりぞけることはできない。私には、今も、三島自死のしらせを聞いたときのうろたえがのこっている。
 追悼の言葉は日常の言葉とかわらない。まにあわないことがある。

 池澤夏樹の日本語がR. P. ドーアの日本語同様やわらかいことについて、

……ふたたび池澤夏樹に戻ると、彼の日本語が自然科学の知識を駆使しながら、やわらかい印象を与えるのは、彼が、立原道造についで定型押韻詩を日本語で実現した母親の原條あき子に、はじめに言葉を教わったからではないか。戦時中の閉ざされた国家の中の、閉ざされた結社の中で使われたマチネ・ポエティークの日本語が、半世紀間熟成されて、今日の日本に再び現れた。そう考えていいのではないか。

 新書というこの小さな本に何と豊かな思想が充満していることか!

 

思い出袋 (岩波新書)

思い出袋 (岩波新書)

  • 作者:鶴見 俊輔
  • 発売日: 2010/03/20
  • メディア: 新書