道浦母都子『女歌の百年』を読む

 道浦母都子『女歌の百年』(岩波新書)を読む。最初に俵万智とその同時代の水原紫苑米川千嘉子が取り上げられる。そして与謝野晶子から始まって、山川登美子、茅野雅子、九條武子、柳原白蓮原阿佐緒、三ヶ島葦子、岡本かの子、中条ふみ子、齋藤史、葛原妙子、河野愛子、森岡貞香、馬場あき子、山中智恵子、そして河野裕子阿木津英、永井陽子、松平盟子、栗木京子、道浦母都子らの主要な歌と歌人の簡単な経歴が語られる。
 素晴らしい本だ。著者が優れた歌人だから歌の解釈も説得力があるし、歌人たちの選択も素晴らしい。初版の発行が2002年ともう17年前になる。どうして今までこの本を読まなかったのか悔やまれる。
 短歌作品と道浦によるその解釈を拾っていく。

与謝野晶子
乳ぶさおさへ神秘のとばりそとけりぬここなる花の紅ぞ濃き
(あなたを愛することによって、私の乳房――私全体――を抑えていたもろもろのとばり、それらが全て打ち払われ、霧が晴れた後に紅の花がすっくと咲き誇っているように、私という存在が立っている心地なのです)
山川登美子
それとなく紅き花みな友にゆづりそむきて泣きて忘れ草つむ
 九條武子は西本願寺第21代法主の二女、柳原白蓮柳原前光伯爵家の二女、ともに華族階級に生まれた。しかし二人とも幸せな結婚ではなかった。
 原阿佐緒も並外れて美しく生まれたが、決して幸せな人生ではなかった。
原阿佐緒
吾がため死なむと云ひし男らのみなながらへぬおもしろきかな
醒めはてし男の口を吸はむよりかのくちなはの舌を吸はまし
岡本かの子
桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり
 岡本かの子は夫岡本一平、息子岡本太郎、愛人二人の5人で生活していた。それが太郎が敏子と結婚しないで養女にした原因ではないだろうか。母を見ていて女への不信を抱いた・・・(これは我が意見)
 中条ふみ子は乳がんに侵され32歳で亡くなる。亡くなる数カ月前に歌集『乳房喪失』が出版された。
音たかく夜空に花火うち開きわれは隈なく奪はれてゐる
 齋藤史の父は2・26事件で禁錮刑となり、親しかった軍人たちが処刑された。
春を断(き)る白い弾道に飛び乗つて手など振つたがつひにかへらぬ
白きうさぎ雪の山より出でて来て殺されたれば眼を開き居り
河野愛子
触角の如く怖れにみちてゐる今日の心と書きしるすのみ
われには黒き柩のふさはし 前も後ろも落葉降りてあり
富小路禎子
処女にて身に深く持つ浄き卵(らん)秋の日吾の心熱くす
馬場あき子
さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり
 本書には紹介されていないが、私にとって馬場あき子の歌と言えば、
われのおにおとろえはててかなしけれおんなとなりていとをつむげり
大西民子
妻を得てユトレヒトに今は住むといふユトレヒトにも雨降るらむか
 道浦はこれを離別の哀しみを歌い上げると言う。
道浦母都子
ガス弾の匂い残れる黒髪を洗い梳かして君に逢いにゆく
人知りてなお深まりし寂しさにわが鋭角の乳房抱きぬ
阿木津英
蒼みゆくわれの乳房は菜の花の黄の明るさと相関をせり
松平盟子
口移されしぬるきワインがひたひたとわれを隈なく発光させる
栗木京子
観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ)
河野裕子
たっぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり
 短歌は短い字数で複雑なことは表現できないと思われているが、こうしてみると、短い字数だからこそ、心の内を直接に吐露している。女たちの歌が哀切で読んでいて涙がこぼれそうになった。

 

女歌の百年 (岩波新書)

女歌の百年 (岩波新書)