河野裕子『歌集 蝉声』(青磁社)を読む。河野は2010年8月12日、乳がんのため64歳で亡くなった。本書は夫の歌人永田和宏とやはり歌人の息子と娘の永田淳、永田紅の3人が没後編集して出版したもの。第1部が雑誌に2009年4月に発表したものから、2010年8月号に発表したもの。第2部が本人が手帖に書き残したものと、家族が口述筆記したもの。
生れた日から死ぬる日までの短さよ日ぐれの裏木戸うしろ手に閉む
ほんとうに短かかりしよこの生は正福寺のさくら高遠のさくら
亡くなる2日前と前日に書いた歌を並べてみる。いずれも口述筆記だ(歌集とは順序が異なる)。
夫や子を撫でやる力も失せはてて目をあけては気づくこんなに痩せて
くやしさは言ふべくもあらぬこれからが本番といふ時にいくつは捨てて
長生きして欲しいと誰彼数へつつつひにはあなたひとりを数ふ
わがために生きて欲しいと思へどもそのあなたが一番どうにもならぬ
断念と言ひて仕事をあきらめし島田修二を思ひつつおり
身動きのひとつもできぬ身となりて明けの蝉声夕べかと問ふ
今日は何日かと問ひつつも首をあげゐぬ十日でしたかと問ひなほしたり
洗濯機の終了ブザーが鳴るまでにまだ少しあり夕蝉のこゑ
これからは夜が始まる寝ることが仕事となりし他の何もできず
ほんとにもう身動きならず身を起こし顔拭くさへに吐き気また来ぬ
長いあひだつき合ひくだされし木村敏右頬のあたりのほくろ懐かし
この人とはもう今生は会はざらむ八十四歳の握手求め来
そして亡くなる前日の歌
うら山をほとんど重複するほど歩きこしこの夜もこのうら山も
昼ごろは茶碗かちやつかせ食ひおへぬ茗荷の花と鰯が二尾と
茗荷の花こんなにうすい花だつた月の光もひるんでしまふ
昼前に月の光がすうすうす家族四人もひるんでしまふ
すうすうと四人の誰もが寒くなり茗荷の花の透くを回せり
死がそこに待つてゐるならもう少し茗荷の花も食べて良かつた
死は少し黄色い色をしてゐしか茗荷の花は白黒(モノクロ)であつた
あなたらの気持ちがこんなにわかるのに言ひ残すことの何ぞ少なき
さみしくてあたたかかりきこの世にて会ひ得ひしことを幸せと思ふ
八月に私は死ぬのか朝夕のわかちもわかぬ蝉の声降る
みんないい子みんないい子と逝きし母の心がわかる私にはもつとたくさんの人がゐてくれた
手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が
30代で象徴性の高い琵琶湖を歌った代表歌、
たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり
を書いた河野も死を目前の作歌は切ないが、この人の本来の作ではなかった。それは仕方ないだろう。
以前、中島梓『がん病棟のピーターラビット』(ポプラ文庫)について紹介した時、その文体を批判して、「作家とは思えない下手な文章だ。行間を風が吹き抜けている」と書いたことがあったけど、中島は当時がん病棟に入院していたのだから、精神が弱っていたのかもしれない。過剰な批判だったと思う。
・いまどきの文学に関する中島梓の過激な発言
https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/20090118/1232230110