長谷川眞理子の書評から

 朝日新聞の読書欄でジェラルディン・マコックランの『世界のはての少年』(東京創元社)について人類学者の長谷川眞理子が書評を書いている。

 読み始めたら止まらず、読み終わったあとの衝撃と悲しみ。ものすごい話である。そして、これは実話に基づく物語なのだ。
 セント・キルダ諸島と聞いてわかる日本人は、まずいないに違いない。スコットランドの沖合にぽつんと離れて浮かぶ岩だらけの島々。私は1998年の3月から6月まで、ヒツジの調査でここに滞在したので、本書に描写されている島の様子はよくわかる。
 一番大きなヒルタ島でも1日で一周できる広さ。今は世界遺産であり、ナショナル・トラストが管理しているが、1930年まで最大で180人ほどの人々がここで暮らしていた。(後略)

 長谷川は「セント・キルダ諸島と聞いてわかる日本人は、まずいないに違いない」と書く。先生、私は知っています。昔先生が書かれたエッセイで知りました。
 東大出版会のPR誌『UP』1990年6月号に長谷川真理子の「セントキルダ島と羊たち」というエッセイが掲載された。そこに書かれていたヒツジの人口過多による結末が、地球の近未来の姿を暗示していて強烈な印象を持ったのだった。それを引く。

 イギリスを旅する人たちの数は数え切れないほどあるが、スコットランドへ行く人の数は、まだずっと少ない。さらにスコットランド本土を離れて、西岸を取り巻くアウター・ヘブリディーズ諸島を訪れる人は滅多にいないだろう。その中でさらにぽつんと西に離れて位置するのがセントキルダ(島)である。私自身、そこに生息する野生ヒツジの調査に参加することになると聞いたとき、そこがどこにあるのか知らなかった。(中略)研究対象であるヒツジたちは人を恐れる様子もなく、私たちを横目に草を食んでいた。この年は島全体で約900頭のヒツジがいた。島は閉鎖系であるため、ヒツジの数がどんどん増えると環境収容力が一杯になり、やがて一気に大半のヒツジが死んでしまう。ここのヒツジは、このような増加と減少のサイクルを長年(約5年周期で)、繰り返しているのである。島を歩くと足元に、草の間にも海岸の割れ目にも、気が付けばほとんど島中が隙間もないほどに、かつて死んでいったヒツジたちの白骨で覆われていることがわかる。今いるヒツジたちは、吹き荒れる風に頭を低くし、死んでいった同胞たちの骨を踏みつつ、骨と骨の間で草を食んで生を営んでいた。(中略)この年、島の環境収容力は飽和に達し、10月頃からヒツジが死に始め、私がこの手に抱いて体重を計った子ヒツジたちは、2頭を除いて全員が死んでしまった。彼らもまた、草の間に横たわる白い骨の仲間入りをしたのだろう。(後略)

 書評において、長谷川は「私は1998年の3月から6月まで、ヒツジの調査でここに滞在した」と書いているが、『UP』のエッセイは1990年に掲載されている。1998年ではなく、1988年の勘違いではないだろうか。