府中市美術館の長谷川利行展「七色の東京」を見る


 東京の府中市美術館で長谷川利行展「七色の東京」が開かれている(7月8日まで)。長谷川について美術館の発行しているパンフレットに簡単に紹介されている。

 長谷川利行(はせがわとしゆき、1891-1940)、通称リコウ。京都に生まれ、20代は短歌の道を志し、30歳を過ぎてから上京。ほとんど独学と思われる油絵が二科展や1930年協会展で認められます。しかし生活の面では、生来の放浪癖からか、浅草や山谷、新宿の簡易宿泊所を転々とするようになり、最後は三河島の路上で倒れ、板橋の東京市養育院で誰の看取りも無く49年の生涯を閉じます。
 利行の絵はその壮絶な生き様からは想像できないほど、明るい輝きに満ちて、時に幸福感さえ感じさせます。奔放に走る線、踊るような絵の具のかたまりが、行く先々の現場で描いた利行の目と手の動きをそのまま伝えます。……

 府中市美術館の売店のスタッフと話すと、お客さんは多いです、とくに中年の人たちが、画集もよく売れますとのことだった。
 私が長谷川の名前を知ったのは50年前のわが師山本弘からだった。山本は近代の日本の画家では長谷川が最も好きで、豊橋に住む友人の画家山本鉄男さんから長谷川の分厚い画集をもらって手元に置いていた。ヨーロッパの画家ではスーチンが好きだったから、長谷川が好きだったことはうなずける。同時に放浪を繰り返し酒に溺れていた長谷川の生き方にも共感を抱いていたのだろう。山本もやはり酒に溺れる生活を送っていたから。
 画集は見せてもらっていたが、長谷川の絵をちゃんと見たのは2000年の東京ステーションギャラリーでの個展だった。山本が長谷川から大きな影響を受けていたことがよく分かった。山本は黄色い顔の女の絵を描いたが、それはおそらく長谷川の「青布の裸婦」あたりに触発されたものだろう。山本の「種畜場」は長谷川の牛の絵に触発されたものかもしれない。
 そして東京ステーションギャラリーでも今回も感じたのだが、長谷川はきちんとしたアトリエを持たなかった。そのため時間をかけて制作するのではなく、早描きにならざるをえなかった。絵具が乾いてから次の筆を入れるのではなく、まだ十分乾く前に重ねて描いていったように思われる。長谷川の作品は絵具が混ざりあったりして画面が綺麗ではない。筆触が美しくない。そのことは長谷川の影響を強く受けた山本の作品と比べるとよく分かる。山本も早描きだった。山本も酒浸りの生活を送っていたが、家庭があり、貧しいながらもアトリエとして使っていた部屋があった。たぶん技術も優れていたのだろう、山本の絵は長谷川のように絵具が濁ってはいないし、筆触が美しい。造形的にも山本の方がはるかに優れている。
 長谷川利行展を見ながら、山本弘と比べずにはいられなかった。公立美術館で大きな展覧会が何度も開かれる長谷川利行に対して、山本弘は故郷の飯田市美術博物館で須田剋太との二人展が開かれただけだが、「作品の質」の高さでは比較にならないと言い切ることができる。
 今年も渋谷の道玄坂アートギャラリーで9月24日から1週間、山本弘展を予定している。ぜひそこで藍より出た青のその輝くような青さを確認してほしい。
 下の絵は長谷川利行の「青布の裸婦」と山本弘の「黄色い顔の女」。

長谷川利行「青布の裸婦」

山本弘「黄色い顔の女」
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長谷川利行展「七色の東京」
2018年5月19日(土)―7月8日(日)
10:00−17:00(月曜日休館)
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府中市美術館
東京都府中市浅間街1-3
ハローダイヤル03-5777-8600
http://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/