ベーラ・バルトーク『バルトーク音楽論選』(ちくま学芸文庫)を読む。ハンガリーの作曲家バルトークの音楽論をちくま学芸文庫オリジナルで編集したもの。バルトークといえば民俗音楽を収集し、それを自分の作曲の糧にもした作曲家だ。最初の章でどのように採集したのかその方法や苦労が語られている。ついで「諸民族の音楽」として、ハンガリー、スロヴァキア、ルーマニア、ブルガリア、トルコの民俗音楽が譜例付きで紹介されている。
3番目の章で作曲家論が語られる。リスト、コダーイ、ドビュッシー、ラヴェル、シェーンベルク、そして新音楽について。リストの項で、リストの『巡礼の年』や『詩的で宗教的な調べ』に収められたいくつかの曲と、ドビュッシーとラヴェルのいくつかの作品との間には驚くほどの類似性が見出せるという。リストの『エステ荘の噴水』やこれに類するほかの彼の作品なしにドビュッシーやラヴェルによる同様な雰囲気の作品は生まれえなかっただろうと言っている。
バルトークは晩年ナチスに追われてアメリカへ亡命している。ハーヴァード大学でハンガリー音楽についての講義を企画し、8回の予定で始めたのだったが、癌のため3回までしか壇上に立てなく、4回目の分は草稿で残っていたのだった。その講義録が収録されている。
最後に「自伝」が収められているがたった7ページしかない。バルトークのCDは『弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽』と『管弦楽のための協奏曲』がカップリングされたフリッツ・ライナー指揮のものと、『無伴奏バイオリン・ソナタ』をムローヴァが弾いているものが入っている2枚しか持ってないが、前者のライナー・ノートに、バルトークはアメリカで「孤独と貧困のうちに白血病で亡くなった」と書かれている。この偉大な作曲家の最後としてあまりに無残ではなかったか。