片山杜秀『ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる』を読む

 片山杜秀ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる』(文春新書)を読む。これが素晴らしい。片山は近代日本政治思想史の専門家、でありながら音楽評論家としても一流で、音楽に関する著書で吉田秀和賞を受賞している。私も何冊も片山の政治史の本をここで紹介している。『近代日本の右翼思想』(講談社選書メチエ)、『未完のファシズム』(新潮選書)、『見果てぬ夢』(新潮社)、『国の死に方』(新潮社新書)、島薗進との共著で『近代天皇論』(集英社新書)、いずれもすばらしかった。さらに音楽に関するエッセイも何冊もある。
 今回のタイトルは編集者が販売に益するよう付けたものだろう。正確にはヨーロッパ社会がわかればクラシック音楽の変遷がわかる、というような内容。
 クラシック音楽は教会音楽として始まった。ついで王侯貴族が文化の主役となり、次に市場経済が発達して市民階級(ブルジョワ)が王侯貴族の文化を模倣した。市民社会は自分たちも演奏を楽しむようになり、ロマン派の時代となる。大都会では豪華なオペラが全盛を迎えるが、一方教養を高めた市民層はより複雑な音楽を求めていく。グローバリズムが席巻したあとワーグナーが現れて「民族」を説く。しかし2つの大戦は人類に絶大なダメージを与え、音楽は壊れていく。
 神の音楽、グレゴリオ聖歌はモノフォニー(単旋律)で人の声だけ、楽器を伴わなかった。ついでポリフォニー(多声音楽)と楽器が多様化する。教会から世俗へ広がった音楽は巨匠を生む。バッハ、ヘンデルテレマンらだ。それぞれが活躍した都市の大きさとの関係で彼らの音楽が語られていく。テレマンは当時の国際都市ハンブルグで4千曲以上を作曲した。バッハが活躍したのはドイツの小都市だった。教会の音楽を書いていたが同時代にはそれほど高い評価を受けなかった。バッハはひと時代前の音楽ポリフォニーにこだわっていたから。ヘンデルはロンドンで活躍した。ロンドンは世界的な大都市になっていった。ロンドン市民は社交として合唱を愛好した。ヘンデルは演技を伴わない物語音楽、オラトリオの作曲に力を傾けた。
 ハイドンハンガリーの大貴族エステルハージ家に雇われる。ハイドンは貴族のためにオペラやシンフォニーを書いた。エステルハージ家では主人とゲストの上流階級のために作曲した。客たちは洗練されていて音楽の微妙な差異も聴き分けた。ハイドンは没落する貴族から去りロンドンに移った。ロンドン市民たちは貴族ほど洗練された耳を持たないので、ハイドンは分かりやすい曲を作りアレンジにも刺激的なけれん味を加える
 ベートーヴェンを語るに際して、片山は3点に要約する。1.わかりやすくしようとする。2.うるさくしようとする。3.新しがる。ベートーヴェンは洗練されていない市民を相手に分かりやすい曲を書く。大きな会場で演奏するので音を大きくする。ベートーヴェン交響曲は1作ごとに新しい切り口がある。
 市民社会市場経済はさらに発展していった。大都市の娯楽としてオペラが隆盛した。また教育というジャンルが勃興して楽器を演奏することがブルジョワのたしなみとして普及する。ピアノが発達し、家庭にも普及した。音楽学校ができ、音楽アカデミズムの世界が確立すれば、「閉鎖された専門家の世界が成立」する。市民の側にも「教養市民」が登場し、複雑な音楽を分かる市民は教養人であり高級な存在ということになる。クラシック音楽が難解な音楽というイメージをもつことになる。
 19世紀の最後を飾るにふさわしいワーグナーについて片山が要約する。

 ワーグナーが生まれ、その活動の拠点としたドイツは、資本主義のトップランナーであるイギリスや、革命で「自由・平等・友愛」を掲げ、近代政治思想をリードしたフランスに比べ、明らかに後進的存在でした。ワーグナーはその後進性を逆手に取り、近代と土着を結びつけた新しい民族主義を高らかに歌い上げたのです。これはニーチェなどの思想家のみならず、その後、ナチス・ドイツにも通じる政治思想へ影響を与え、さらには日本など近代に遅れて参加した国々にも大きな影響を及ぼしたと考えてよいと思います。
 その影響圏の広がりは、「市民の時代」の代表ベートーヴェンに匹敵する、まさに桁外れのスケールを持った“怪物”といえるでしょう。

 ワーグナーの後にシュトラウスマーラースクリャービンが続き、またシェーンベルクストラヴィンスキーラヴェルが語られる。シェーンベルクストラヴィンスキーラヴェルは第1次世界大戦後の壊れた世界を表現しているという。20世紀のクラシック音楽が第2次世界大戦の前の段階で到達した姿だと。
 本書は片山がしゃべったことを編集部がまとめたものらしい。とても読みやすく興味深い内容だった。