片山杜秀『皇国史観』を読む

 片山杜秀皇国史観』(文春新書)を読む。皇国史観とは、日本の歴史を万世一系である天皇が君臨する神国の歴史として描く歴史観、と取りあえず『広辞苑』を引いて、さらに、明治以来近代日本の大きな枠組みを作り上げているもの、とする。その枠組みが「天皇を中心とした国家」と位置付けている。
 そう書くと終戦によって終わった過去のことではないかと思われがちだが、片山の講義に沿って読み進めていけば、皇国史観を語ることが即ち日本近代史の概論を語ることになって驚く。言葉を変えれば、皇国史観の変遷をたどることが日本近代史に他ならなかった。皇国史観こそ日本近代史そのものだった、という驚くべき結論!
 片山は江戸時代の前期水戸学(水戸光圀)、後期水戸学(会沢正志斎、徳川斉昭)、五箇条の御誓文大日本帝国憲法と講義を進める。南北朝どちらが正しかったか、これが皇国史観の本体とも言える事件だった。歴史学的には両統並立が正しいし、勝者は北朝明治天皇自身も北朝天皇だが、山県有朋が関与し、南朝正統説を主張する。それは楠木正成が偉い、だから南朝が正しいというもの。結果明治天皇南朝正統を認める。片山はこれをエリートの学者(北朝)と大衆(南朝)の対立だと見る。さらに現在普及している歴史年表も南朝天皇が正式と認められていると。
 ついで昭和に入っての天皇機関説が語られる。明治憲法天皇の関係は、天皇主権説と天皇機関説に解釈が分かれていた。主権説は統治権天皇にあるという考え方、機関説は統治権が国家にあるという考え方だ。主権説では天皇憲法を超越していると取る。片山は書く。

……狭義のいわゆる皇国史観とは、立憲主義を乗り越えた天皇の超越性を主張したいときに前に立ってくる歴史観なのです。

 皇国史観の代表的な論者が平泉澄だった。平泉は昭和天皇に御進講し秩父宮に働きかけ、2・26事件の青年将校を擁護した。平泉にとって国民はどのような存在だったか。学生が農民の歴史を研究したいといったところ、平泉は言下に「百姓に歴史がありますか」と答え、さらに「豚に歴史がありますか」と追い打ちをかけた。
 戦後の皇国史観に関して、柳田国男折口信夫が比べられ、網野義彦引用される。さらに平成の天皇像と令和の天皇像が語られる。すると、これらの議論が少しも過去のものではないことが分かる。
 最後に片山は書く。「皇国の滅ぶ日まで、私どもは私どもの皇国史観を探求し続けるのです」。
 片山杜秀の音楽論が好きで、もう20~30年前から『レコード芸術』誌上から読んできた。本書の著者近影を見ると、少し太ってきているようなのでその健康が気になった。まだまだ片山の音楽論も近代日本思想史も読みたいから。

 

 

 

皇国史観 (文春新書 1259)

皇国史観 (文春新書 1259)

  • 作者:片山 杜秀
  • 発売日: 2020/04/20
  • メディア: 新書