大岡信『日本の詩歌』を読む

 大岡信『日本の詩歌』(岩波文庫)を読む。副題が「その骨組みと素肌」。大岡が1994年と1995年にフランスのコレージュ・ド・フランスで5回にわたって行った講演の原文。講演は仏訳してもらったものを大岡がフランス語で話した。
 これが素晴らしい古典たる日本詩歌の入門書だ。フランス人に日本の詩歌を講演するということは、何も知らない人たちに講演するということだ。しかし考えてみれば、私たちだってそれらをほとんど知らないに等しいのではないか。読み終わって、本当に優れた講義を受けた思いがする。
 5回の講演は、漢詩人としての菅原道真紀貫之と『古今和歌集』、奈良・平安時代の女流歌人たち、叙景の歌、中世歌謡となっている。
 まず菅原道真という優れた漢詩人がいたことを紹介し、その漢詩を挙げて内容をやさしく説明し、道真が政治的に失脚して大宰府に流され、そのような経歴で詠んだ詩であることを解説してくれる。道真については、名前のみ知ってはいるものの、その漢詩についてはほとんど聞いたことすらなかった。
 ついで貫之を中心に編まれた初の勅撰和歌集である『古今和歌集』が取り上げられる。和歌という詩はわずか31文字(シラブル)で表現するため、様々な方法によって豊かな包容力を与える試みがなされてきた。その一つの本歌取りを説明する。「秀作と多くの人に認められている先人の歌の表現の一部を、意識的に借用して自分の作品を構成する方法」であると。「その作品と重ね合わせに、もう一つの有名作品の、いわば残り香、残響をも感じとらせることをねらったからです。それによって作品享受の味わいも、複雑かつ豊かなものになるからです」。それが意味するものは、千年前、八百年前の日本では、多くの教養ある男女は、有名な古歌を諳んじる能力を持っていたということだ。
 「奈良・平安時代の一流女性歌人たち」では、笠女郎、和泉式部式子内親王の3人が取り上げられ、その優れた和歌がていねいに紹介される。
 「叙景の歌」では、和歌では叙景詩が多い。西欧では詩は「叙事詩・叙情詩・劇詩」があるが、日本では風景そのものの描写による「叙景詩」あるいは「自然詩」が大量にある。それは実は偽装された恋歌である、と。
 「日本の中世歌謡」では『梁塵秘抄』と『閑吟集』が取り上げられる。『梁塵秘抄』から紹介されている1篇。

  女の盛りなるは
  十四五六歳二十三四とか
  三十四五になりぬれば
  紅葉(もみぢ)の下葉に異ならず

 とても優れた日本の古代〜中世の詩の入門書だと思う。