小谷野敦『文学研究という不幸』を読む

 小谷野敦『文学研究という不幸』(ベスト新書)という奇書を読む。人文学の研究者たちの実名を挙げて業績の有無と得られた大学等の地位について詳しく紹介している。人名索引でみると約800人が取り上げられている。それらを小谷野はおよそ容赦なく斬り捨てる。だが評価すべきは評価して、それなりに公平を期しているのは想像できる。その実例を、

 余談になるが、大学教授の中には、自分より優秀な者を後継者にしたがらない人というのがいる。こういう人がいると、無能な人が後を継ぐから、悲劇である。たとえば東大英文科の平井正穂(1911−2005)という人がいて、ずいぶん長く生きて、数年前にようやく死んだが、この人もそういう人だったようで、当時東大教養学部高橋康也先生(1932−2002)がいたが、高橋先生は遂に英文科の専任にはならなかった。これは、高橋先生が優秀なので、採ると自分が抑えつけられると思った平井が採らなかったからだ、と平井が自分で言ったそうである(情報源秘匿)。

 小谷野は、本来の「文藝」の序列では、詩人―小説家―評論家―研究者、となると言う。

……今でも、詩人というのは、それだけでは絶対に食えないに近い職業だが、いわゆる文学賞や、死んだ時の新聞の死亡記事、あるいは人名辞典などを見ると、それなりに評価された詩人は、世間的名声に比べて、底上げして偉大とされている。たとえば大岡信は詩人だが、その現代詩で有名なわけではなく、朝日新聞に連載していた、古今の詩歌のいい部分を紹介する「折々のうた」で知られるようになった。けれど、「詩人」だからこそ大岡は文化勲章を受章するような文化人なのであって、一介の研究者が、仮に同じような詩文紹介をしても、そう評価されるかどうかは、疑わしい。

 有名作家でも貧苦に悩む人はいると小谷野は言う。

……日経新聞が、日本文藝家協会の会員の年収は500万を下回る、と書いた時、金井美恵子は、エリート新聞記者には500万で少ないと思えるのか、と厭味を書いたし、寡作の松浦理英子は、海外旅行に行くカネくらい欲しい、と書いていたことがある。

 ベストセラー作家でなければ、一流出版社の編集者の方が、作家より年収は多いと誰かが書いていたのを読んだことがある。
 また一流以下の大学のレベルについても手厳しい。

……「後進の育成」などということができるのは、一流大学だけである。それ以下の大学は、育成どころか、まるで子守りをするか、中学生レベルの教養を教えようとして教えそこなうのが普通だ。さる私立大学で、ドイツ文学の授業を始めた人が、授業計画をインターネット上に公開していた。最初は、ドイツ文学の代表的な作品を読む、あとは参考書としてこれこれ、などと書いてあったのが、後期になるとあとが付け足されていて、アニメ『アルプスの少女ハイジ』を観てその感想を書く、に変わっていた。『ハイジ』の翻訳を読む、ですらないのである。アニメを観るのである。それ以上のことは学生にはできないのである。

 小谷野はむかし『もてない男』を読んで、その奇書ぶりに驚いたことがある。部下の女子社員に勧めたら、途中まで読んで気持ち悪くなったと返されたことがあった。セクハラだと思われたのだろうか。そういえば部下に優秀な女性グラフィックデザイナーがいて、ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』を貸したら、短期間に2回読んで、もう私たちの仕事は無意味ってことですねと感想を言われた。
 「あとがき」で、小谷野が書く。

……純文学や文学研究は、今後は、ほかに仕事を持つ人の趣味、余技としてしか存在しえなくなるだろう。

 それにしても取り上げた人文学者が800人ということは、たいていの人文研究者が網羅されているのではないだろうか。皮肉のきいた小人名辞典みたいなものか。



文学研究という不幸 (ベスト新書 264)

文学研究という不幸 (ベスト新書 264)