奥村欣央の山本弘論

 奥村欣央氏から山本弘論が寄せられた。題して「山本弘の塗りのこし」。これがとても興味深かった。

    山本弘の塗りのこし        奥村欣央



 「セザンヌの塗りのこし」という須之内徹のエッセイは読んでいない。しかし、ここは僕(オレ)の画家としての経験から話したい。
 山本弘の天才的造形は、たまたま描けてしまったというものではない。山本には確信的造形がある。一枚の山本の絵に小さな塗りのこしがあった。ある人は言う。「山本はすでに完成のイメージができていたから、あえてココに塗りのこしを作った」と。
 しかし、それは間違いである。僕も塗りのこしをイメージして絵を描いたことがあるが、一度として成功しなかった。絵の具を置く場合、計算は成り立つが、塗りのこしは意識的につくる事はセザンヌでさえ不可能である。
 ならば、なぜ絶妙な位置に余白ができるのか(?) たまたまでもない、計算でもない、というところに造形の醍醐味があるのだ。おそらく早描きの山本は反射能力という点において…他の画家にない才能を持っていた。筆を走らせている中、一瞬一瞬判断を下していたのだ。たぶん山本は自分が描こうとするイメージより、0コンマ3秒くらい、手が先に描いているという感覚を持ったはずである。
 その一瞬の判断、あるいは反射能力で、のこすべき線、あるいはのこすべき余白、を絵の全体において必要か不要か、察知できたのだ。
 けっして結果オーライではない。多作でソートーの鍛錬の結果である。右脳も左脳も使わず絵を描ける人(画家)がいる。
 私もセザンヌ山本弘もそういう画家なのである。
 計算で絵は描けないし、まして偶然に依存などすれば、造形は達成できない。
 用心深いセザンヌの筆さばきも、早描きなぐり書きの山本の筆さばきも、俺の踊り描きも、まったくにくたらしいほどに描かれていない所を描いているのだ。

 奥村は画家であり、写真家であり、評論も書いている。この山本弘論で取り上げられた作品は、おそらく「黒い丘」のことだろう。「黒い丘」には左端中央に四角い黒の塗り残しがあるのだ。下のリンクで「黒い丘」の作品が見られる。


山本弘の作品解説(16)「黒い丘」(2008年12月23日)
山本弘の絵について教わった(2014年7月29日)