蓮實重彦『ハリウッド映画史講義』がおもしろい

 蓮實重彦『ハリウッド映画史講義』(ちくま学芸文庫)を読む。副題が「翳りの歴史のために」というもので、これがなかなかおもしろかった。ひと言でいえばアメリカの「B級映画」の歴史を語っているのだ。
 しかしB級というのは誤解されていて、A級とB級はあるが、C級やD級というものはない。それは、一流、二流、三流というようなランクではないという。いわばレコードのA面とB面だという。いや、これが雑誌に連載されたのはもう30年前なのだ。レコードのA面やB面といって現在通じるだろうか。B級映画とは2本立興業の前座として本篇の前に上映される短い作品のことだという。そのB級映画を主題の中心に据えてアメリカ映画の歴史、それも戦後のハリウッドの映画の崩壊の歴史を語っている。だから、最初に蓮實が断っているように、ジョン・フォードウィリアム・ワイラー、グリフィス、シュトロハイムセシル・B・デミルヒッチコックなどの輝かしい名前の監督たちがほとんど登場しない。ここに語られるアメリカ映画の歴史にあって、彼らは傍系的な役割しか演じることがないからだという。なんという刺激的な言挙げだろう。

……これから読まれようとしている文章になにがしかの意味があるとするなら、それは、こうした輝かしい名前がどれひとつとして登場することがなくとも、アメリカ映画の歴史は充分に語られうるものだという事実を納得することにつきている。

 作家的自覚をまったく持たぬ職人監督が器用に仕上げてみせる娯楽映画や、もっぱら観客動員をあてこんで話題性を誇示するゲテモノ映画や、意欲を欠いた企画が量産する粗製濫造のプログラム・ピクチャーが、それだけで「B級映画」たる資格をそなえているわけではないことは、いまや明らかである。「B級映画」として機能しうる作品の特質は、あらかじめ2本立興行の添えものとして上映されることを目的として企画され、製作され、監督されたものだという点につきている。

B級映画」の予算は「A級映画」のおよそ1/10、撮影期間は6週間に対してほぼ2週間と短く、中には、2日、あるいは5日で撮りあげられることも稀ではなかったという。上映時間は60分から70分、長くて80分というのがその基準である。

 そして、「重要なのは、粗製乱造のプログラム・ピクチャーだと安易に誤解されがちなこの「B級」というカテゴリーが、トーキーの成立とともに形成され、50年代におけるハリウッドの崩壊とともに消滅するしかなかった歴史的な概念にほかならぬ事実を確かめることにある」という。
 このB級映画ゴダールに大きな影響を与えたのだと驚くようなことを主張する。なるほど!
 戦後ハリウッドの映画製作システムが崩壊していった歴史を、具体的に分析してくれる。このあたりの要約が私にはできないが、実に説得力があって読みごたえがある。さすが映画を語らせてこの人の右に出る者はいないのではないか。題名の取りつきにくさと裏腹に読みやすく面白い読書経験だった。