大野晋・丸谷才一『日本語で一番大事なもの』を読む

 大野晋丸谷才一『日本語で一番大事なもの』(中公文庫)を読む。分かりにくい題名だが、本書は古文の主に助詞と助動詞について大野と丸谷が語っている。つまり日本語文法の本なのだ。文法の本だといえば、ややこしくてうっとうしいものだという印象を持つだろう。ところが本書はおもしろい。対談によっているということが一つ、もう一つは終始万葉集から新古今などの和歌を素材に文法を語っていることによる。
 堀辰雄の『風立ちぬ』の巻頭にヴァレリーの詩がフランス語で引いてあって、それを堀辰雄の訳文で紹介されている。それが、「風立ちぬ、いざ生きめやも」となっている。ヴァレリーの原詩では「生きようと努めなければならない」という意味なのに、堀の訳では「生きようか、いや、断じて生きない、死のう」ということになって、これは誤訳だと丸谷が指摘する。「やも」の用法を堀は知らなかったんでしょう、と。次に大野は森鴎外の名訳と評価の高い『即興詩人』を貶している。

大野  作家の古典理解のことで思い出しましたけれど、森鴎外の『即興詩人』は読むに耐えないですね。僕は何回か通読しようと努めましたけど、いつも途中でいやになりました。原作より訳文が立派だとかいうけれど、あんな下手な擬古文ありゃしないですもの。それに比べて、樋口一葉の文章は上手ですね。本居宣長の擬古文は間違いがなくてスラスラ読めるというだけで、巧みではないけど、樋口一葉はうまいですね。つやもあるし、間違っていないんです。

 森鴎外にきちんと注文を付けていて、さすが大野晋
 助詞「は」と「が」の扱いについて。

大野  (……)山田(孝雄)先生は「が」と「は」との区別をうまく説明できなかった。なぜなら「は」と「が」との使い方は、文脈のとり方によって決るもので、文脈は一つのセンテンスでは成立しない。ですから文章以外の状況を文脈として取り込んで使う語法は、山田文法では視野の外にあったと思います。山田先生は「は」と「が」との使い方を生徒に質問されて、うまく答えられなかったことがもとで、文法の研究を志したんだそうですけれども、結局ドイツ語の文法などを読んで、日本文法を組み立てた。ハイゼなどのドイツ語の文法書をよく読んで、日本語のなかへ取り入れられるものは取り入れたらしいけれども、山田先生は日本語が文脈に依存して言葉を使う言語だということ、また「は」と「が」とでは承ける言葉を違って扱うという点を見なかったと思うんです。だから結局、山田文法では「は」と「が」とは、よくわかるように説明がついていないんです。

 また、「さへ」は「添ひ」のなごりだとして、

大野  「さへ」という言葉は、「……をそえて……もまた」とか、あるいは「……までも」とかいう意味ですね。『万葉集』でいちばん有名な歌、


  をとつひも昨日も今日も見つれども明日さへ見まくほしき君かも


「一昨日も会ったし、昨日も会ったし、今日も会ったけれども、さらに加えて明日も会いたいと思うあなたです」という男から女への歌ですね。これなんか「さへ」という言葉の本来の意味の使われ方がよくわかりますね。
丸谷  この「見る」は、やはり男女関係の実際のことをするという意味でしょうね。
大野  そうだろうと思います。
丸谷  毎日か。かなり激しいですね(笑)。

 「さへ」に近い「だに」について、

丸谷  「だに」を使った言い回しで、王朝和歌にかなり多いのは、「枕だに」という言い方です。たとえば伊勢の歌に、


  しるといへば枕だにせでねしものを塵ならぬ名の空に立つらむ


 枕は人の秘密を知るというから、その枕さえしないであなたに関係したのに、私の名前は塵でもないのに、その私の名が当て推量に立って、あの女はあの男と関係があると言われる。それから和泉式部の、


  枕だに知らねばいはじ見しままに君かたるなよ春の夜の夢


 私とあなたの仲は枕だって知らないんだから、言わないだろう、だから関係したことを人に語ってはくれるな、あの春の夜の夢の一夜を、ということですね。
 こんなふうに「枕だに」というのが多くて、しかも名歌に多いんです。つまり「枕」というのは恋愛のとき大事な役割をしているけれど、興奮してくると、枕をはずしてしまう。そこのところを「だに」を使ってうまく表現しているんですね。

 最後の章では俵万智の歌を小野小町の歌と比べて評価している。助詞などの文法と例文の和歌の取り合わせが面白く、文法に関する本なのに楽しく読めてしまう。