丸谷才一『無地のネクタイ』(岩波書店)を読む。丸谷が亡くなって、もう新刊のエッセイが読めないものと思っていたら、昨年2月に岩波書店からこの本が出ていたことを忘れていた。岩波書店のPR誌『図書』に2003年からと2010年から「バオバブに書く」「無地のネクタイ」という題名で不定期に連載したもの。いつものエッセイ集は雑誌『オール讀物』に連載されたものだったが、本書は『図書』に連載されたものなので、「少しく硬い」と解説の池澤夏樹は書く。「理論武装がしっかりしていて、世間ないし社会に対してもの言う口調がいささか武張っている。つまり文藝春秋と岩波書店それぞれの社風に合わせて書き分けたのだ」と。
「敬語の話から」が興味を惹いた。
日本文学の研究論文を読んでゐると、敬語が多いのに驚く。
「A氏は(……)といえるだろうとされた。氏はさらに(……)であることに、説き及んでいられる」
「編集部から(……)との課題を頂戴したわけであるが、これは(……)と判断して差し支えないのであろう。そう解釈させていただいて(……)」
「(……)については既述のようにB氏の御論があり、新たに付け加える点はほとんどない。以下で私にB氏の御論のみを要約させていただくと(……)。B氏のご指摘は至適と言うべきで(……)」
かういふ調子の、尊敬表現、謙譲表現、丁寧表現が頻出して、うるさくて困る。折角の論旨が頭にはいらない。
なぜ論旨がわかりにくくなるか、敬語とはもともとさまざまな対人関係の反映で、人に対する待遇を表現するものだからである。話題になつてゐる人物を、対等、上位、下位のどこに位置づけるか、述べる言ひ方なのだ。読者は、その人物は語り手によつてどういふ待遇を受けてゐるか、気にしてしまふ。そつちに気を取られ、その分だけ、中身に対する関心が薄れる。
そして丸谷は評論のとき、敬語はできるだけ省き、敬意も表さないし、へり下りもしないで、ただ事柄だけを書くという。
敬語に関しては、「学問の本の文体」でも再度触れている。
久しい以前、河盛好蔵さんと現代日本文体論のやうな雑談をしてゐたら、
「渡辺一夫さんの文章が気に入らなくてね。いや、学問は立派なものですよ。尊敬してゐます。しかしあの文章がどうも気になつて仕方がない」
と言つた。それでわたしは、この先生は相変らず人の悪口が好きだなあと思つて、すこしその話題につきあつてから、話をほかのことに転じた。
ところが、何年も経つてから渡辺先生の『フランス・ルネサンスの人々』(岩波文庫)を読んでゐると(中略)、内容はしつかりしてゐる高度な本で読みごたへ充分なのに、文章のはしはしが神経に障る。尊敬や謙譲ないし自己卑下が多すぎるのである。それが邪魔になる。(中略)
……渡辺先生の文体は、おそらく育つた家庭、山の手の中流上層の上品な会話から生まれたのだらうが、礼節にみちた家風が妙なところで著作に悪影響を及ぼした。大学で講義しながら文体を形成したことも作用したらう。家庭の言葉づかひから文体を作つた点では志賀直哉も同じだが、こちらは小説だから地の文では敬語を使はないため、事なきを得た。
丸谷にかかっては大江健三郎の尊敬する渡辺一夫も文章が腐されてしまった。
丸谷の言うとおり最近は過剰な敬語が増えている。これも気になる言い方だったのでメモしておいた。ある若い女性画家がSNSに書き込んでいた言葉が過剰な敬語だった。
作品が売れることになりましたので、作品を掛け変えさせて頂き、新たに新作二点追加しました。これは額も部分的に色がはいっていて、作品にあっていると言って頂けて嬉しいです。 明日もまた掛け変えをさせて頂き、更に作品を増やす予定です。是非御誘い合わせの上何度でも御高覧下さい。
「作品を掛け変えさせて頂き」と「何度でも御高覧下さい」も気になる。過度の謙譲と控えめを装った強要の気味が混在している印象だからだ。
丸谷の本文に戻ると、「正岡子規と和歌」もおもしろかった。
明治政府が、東アジアに領土を拡張しようとする方針の都合上、天皇の権威を神格化し、軍事を重んじようとしたとき、軟弱な平安時代は目ざはりで仕方がなかつたので、拠るべき規範として飛鳥時代と奈良時代を持ち出すことにした。この国策が文化に作用して、文学では正岡子規による『万葉集』の礼讃、美術では岡倉天心による飛鳥=奈良美術の発見がおこなはれた。
川尻秋生さんは『平安京遷都』(岩波新書)の冒頭近くでかう述べる。在来の明治史論では見られない清新な説で、まことに刺戟が強く、おもしろい。わたしは興奮を禁じ得なかつた。かう考へれば、青木繁の『わだつみのいろこの宮』の出現も、子規の「貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候」といふ放言もじつによく納得がゆく。
と書く。丸谷は言う。和歌は発生的に女のもので、漢詩が男の表現形式であるのに対立してゐたし、女歌が基本のかたちだつた。
ところが子規は、武士道的なエトスや儒教的なものの残存、さらには病気のせいもあつたかもしれないが、恋慕の情には関心のないたちであつた。さういふ人物が和歌に手を出したのは、「和歌程善き者は他に無」いといふ歌人の揚言をこらしめるためだつたらしい(「三たび歌よみに与ふる書」)。歌も漢詩も新体詩も平等だといふことを示さうとして、彼は短歌革新に乗り出した。そのとき和歌の女性的=王朝和歌的性格はとかく邪魔だつたので、『万葉集』と実朝とがいはば旗じるしになつたのだが、彼の『万葉』論において恋歌はとかく軽んじられがちであつたとか、和歌の場としての宮廷を持たなかつた実朝の恋歌に一首の見るべきものもないとかいふことは念を押すまでもない。さらに言へば、彼の創始したアララギ派はすぐれた女性歌人をつひに出さなかつた。与謝野晶子はもちろん、俵万智も、河野裕子もアララギの系譜に属してゐないことは意味深長だらう。
なるほど、馬場あき子もアララギの系統ではなかった。
さて、丸谷は提案する。東京クヮルテットという国際的な弦楽四重奏団によって、日本の首都はその名を世界に宣伝し顕揚してもらったのだから、それに対して、メンバーのうち存命者全員を名誉都民とし年金を贈る。日大の所有になってしまった旧カザルス・ホールを東京都が買い上げ、東京クヮルテット記念ホールと改称する。または新たなホールを建ててその名を冠してもよかろうと言う。実に良い提案だと思う。
「呉音と漢音」もおもしろかったが、もう略す。
- 作者: 丸谷才一
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2013/02/23
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