李兼恒『韓半島からきた倭』を読む

 李兼恒『韓半島からきた倭』(新泉社)を読む。もう24年も前に翻訳出版されたものだが、まだ古くなってはいない。著者は1919年生まれ、長く韓国の国民大学学長をしていた人。副題が「古代加耶族が建てた九州王朝」というもの。
 李は『魏志倭人伝』の「倭」が朝鮮半島から九州に渡った者たちが作った国であって、日本人の国ではないと言う。倭は朝鮮半島南部と九州北部に分布していた。半島南部では加耶と言った。新羅百済加耶は同一民族であり、朝鮮半島南部と九州北部にまたがる倭も加耶と同一、つまりそれらはすべて同一民族と主張される。
 倭の首長が邪馬台国卑弥呼であり、その国が宋時代の倭の五王に続き、そのまま隋に国書を送った多利思北孤につながると説く。それが九州王朝であると。九州王朝とは、古代中国と国交を結んでいた国であり、7世紀後半に大和王権=近畿天皇家に交替するまで日本を統一していた主権だったとする。
 九州王朝を提案することにより、有名な倭の五王の謎、当時の日本のどの天皇に比定しても大きな矛盾が避けられないというアポリアを解決することができる。
Wikipediaによる倭の五王の解説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E3%81%AE%E4%BA%94%E7%8E%8B
 ついで、隋の煬帝に国書を送って煬帝を怒らせた多利思北孤の問題。「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや」を書いたという多利思北孤は聖徳太子かという難問にも回答が与えられる。もちろん聖徳太子ではありえない。『古事記』『日本書紀』のどこにもそんな記録はない。多利思北孤は九州王朝の王だったのだ。
 画期的な主張だが、実はこれは古田武彦の学説を韓国側にたって読み直したもの。倭国について、加耶と同一であり九州北部にあった邪馬台国とは加耶が進出して作った国というところ以外は、大要を古田学説に負っている。古田武彦の主張については、正確ではないがWikipediaでおおよそのところを知ることができる。
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古田武彦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E7%94%B0%E6%AD%A6%E5%BD%A6
・九州王朝説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC



韓半島からきた倭国―古代加耶国が建てた九州王朝

韓半島からきた倭国―古代加耶国が建てた九州王朝