最近過度な敬語の使用が目立つ印象がある。とくに職場での敬語や店の店員の使用する敬語が多すぎるように思う。上司が部下に敬語を使っている例さえまれではない。おそらく敬語使用に関して自信がないのではないか。過度に使うことで敬語を使わないミスを防ごうという自己防衛のような気がする。それでは過剰使用の敬語の弊害は何か。丸谷才一対談集『文学ときどき酒』(中公文庫)に興味深い事例が紹介されている。作家の円地文子との対談で、『源氏物語』で詠まれている和歌について、
円地 「賢木」の、源氏が野の宮へ御息所に会いに行くとこはようございますね。御息所が伊勢に行ったあとの源氏と御息所の歌なんかもずい分いい。歌になると女がとても強くなるんですね。普通だと口にできないことをはっきり言っている。
丸谷 確かに、それがおもしろいですね。
円地 「賢木」のはじめのところで、野の宮から宮中に行く前に、源氏が御息所の娘の斎宮に「八洲もる国つ御神も心あらばあかぬ別れの中をことわれ」と上手に詠みかけているんです。斎宮はお化粧してこれから参内するところですが「国つ神そらにことわる中ならばなほざりごとをまづやたださむ」と返事をする。あなたは誓いみたいなことを言うけれど、神様にさんざんうそを言っているじゃないか。今さらそんなこと言っても駄目ですと。おそらくお母さんの御息所の心境だと思いますが、強く言い切っている。
丸谷 和歌というものがあるせいで、女の人たちも自分の意志をはっきり示すことができたわけですね。それは一つには和歌には敬語法を使わなくて良かったから言い切れたんじゃないですか。普通の会話は当時はむやみに敬語を使うでしょう。それで強いことが言えない。会話は遠慮深い表現の場ですよね。ところが和歌だと、臣下が天皇に向けてものを言うかたちで歌を詠む時でも敬語を使わないという、詩的世界の約束事が確立していましたからね。
私たちは日本の文化の中に生活している。敬語を使うのは日本文化では当然のことだ。しかし過剰な使用は明晰な言語表現をむしばみ、必要以上に上下関係を強調する。また追従としての使い方も目立っている。敬語は必要最小限の使用とするべきだと思うのだ。
- 作者: 丸谷才一
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2011/06/23
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