詩集『蜜月』を読んで

 武田多恵子詩集『蜜月』(深夜叢書社)を読んだ。武田の詩は谷川俊太郎のように平易ではない。難しいのだ。しかし、よく読むと喪失したものへの愛惜と甘やかな官能が見えてくる。「近似P・W(palm and womb)」の全編。

初めに言っておこう
全ては仮説であると
そのうえで 敢えて触れない
その掌(てのひら)を愛でよう
鳥が右耳に飛びこんできて
物語は唐突に始まる
壁に囲まれた庭園にいたのか
仮の幕屋にいたのかよく覚えていない
本を読んでいる影だけ、はっきりと思い浮かぶ
「影」あるいは「輪郭」は
「包む」という動詞の未来形である。
その掌は「包む」というよりは「延べる」形だ
床(ゆか)を床(とこ)に近づけようと
私たちの布を
壁やカーテンを近づけようと
私たちの夢に
私たちの「固い」「やわらかい」関係において
眠りもまた常に仮説である
出来事の舞台である床の消失点は
森へと続いている
糸杉は多い、海も見える
掌は風景を証明するかのように
ゆっくりと暗示する
触れ得ないものについて
今、全ての凹凸は皮膚に被われている
固さ・・・・
境界線のある一様な冷たい圧力
やわらかさ・・・・
空間の内側に解き放たれる温かい圧力
繰り返して言おう
私へと正当に開かれた
その掌を愛でようと
*木の舟は海に浮かぶ森
ほんの少し床を揺すり
ほんの少し床を濡らし
「未来」と呼んだ「過去」との誤差の中に
私たちの舟を浮かべよう
右手はそっと海に触れる
開くために


    *畠山重篤『森は海の恋人』より

 何という官能性だろう。タイトルのpalm and wombは「掌と子宮」のようだ。
 また別の作品「海が聞こえる」の最後の連では、

だから
台所の片隅で
月夜のベランダで
いつまでも蹲って泣いている私よ
眠れない夜が幾(いく)度続いても
きっと朝日の中にあのやさしい声が聞こえる
母のように
海のように
日々新しい悲しみの中を
生きなさいと

 これは私の友人の死に際して岳父が教示してくれた言葉「細く長く涙を流しなさい」と通じるものがある。
 さらに「物語のあくる日」では、ナンセンスな行が20行ほど続く。「ライオンは眠っている/マンドリンの弦は切れている/バイキン小僧は踊っている/蝮大佐は踊っている/角笛は忘れられている/人魚の頭の上に梟が止まっている/象の兄弟はメソメソしている/一番大きな蝦蟇蛙は哲学的な問題を抱えている/アコーディオン弾きはズボンが摩り切れている/一角獣は親指姫を口説いている(中略)