日本文藝家協会 編『待ち遠しい春』を読む

 日本文藝家協会 編『待ち遠しい春』(光村出版)を読む。副題を「エッセイ’97」といって、1997年に発表されたエッセイの優れたものを集めたアンソロジーだ。
 これを読もうと思ったのは、校條剛『作家という病』(講談社現代新書)に池澤夏樹結城昌治に対する追悼文が一部紹介されていて、ほとんど絶賛されていたからだ。それは「石松の倫理」と題されているわずか5ページのエッセイだ。そこで、結城がロス・マクドナルドの傑作とされる『ウィチャリー家の女』にはトリックに一つミスがあり、見逃しえないアンフェアもある、と書いていたことを読んで、池澤がそのミスとアンフェアを見つけてやろうとしたが見つけることができなかったと書く。結城に会ったときに訊くと、池澤が読者の視点からミスやアンフェアを探していたのに、結城は書き手の倫理という立場で発言していた。読者の代表である探偵が、知っているはずの相手が面変わりしていて分からなかったという点を、アンフェアだと言うのだった。池澤は結城を語るときに倫理観は必須のキーワードだという。
 池澤の父は作家の福永武彦、池澤は幼いころ父と別れて育った。二人の仲を取り持ってくれたのが結城昌治堀辰雄夫人の多恵子だった。福永が危篤になったとき、それを知った結城から連絡があり、二人で信州の病院へ駆けつけたが父の死に目には間に合わなかった。「その後の葬儀と相続に際して、福永のただ一人の子供というぼくの立場を確立するために結城さんは何度となく世間と掛け合い、ぼくにはその時々的確無比のアドバイスを与えてくれた」。
 池澤は続けて書く。

 一言でいえば、倫理の人である。いかなる権威も後に背負わない徒手空拳の倫理。ほとんど本能的に力なき者の側に立つ。(……)どんな場合にも居丈高にならない。正義は我にありと声を高くはしない。いわば石松の目の高さ志ん生の目の高さに自分を置く。

 池澤夏樹を読んだあと、本の最初から読み始めた。300ページ余に68人の作家たちのエッセイが載っている。一人4ページ半、ほとんど著名な文化人たちだ。河西寛子の「手蹟が似てくる」というエッセイ、知人から葉書が届いたが、その人はもう亡くなっている。驚いてよく見ると未亡人からのものだった。夫婦は手蹟が似てくるのだろうと書いている。
 ついで柳美里が高校の恩師の葬式に出席した話が語られている。柳が高校1年で放校になったとき、その恩師だけが職員会議で処分に反対してくれた。「担任だったことはないが、私が恩師と呼ぶことができる唯一のひとだった」と書く。
 続く清水哲男出久根達郎のエッセイもおもしろく読んだ。ところがその後がもう駄目だった。水上勉ワープロについて書き、横尾忠則宝塚歌劇について書いている。
 團伊玖磨が「バロンのこと」と題して、ホテル・オークラの大倉喜七郎男爵との交流を語っている。「バロンは日本風な大店の旦那独特な腰の低さと、ヨーロッパ仕込みの颯爽としたジェントルマンの両面を具えた方だった。まさに和・洋両面の”粋”を身に着けた方だった。そして多才だった」。

 或る時、食事の後で紅茶を頼み、話に気を取られていた僕は、紅茶にミルクを入れた。とたんにバロンはボーイを呼んで、こちらの紅茶を淹れ直して来なさい、と命じられた。詰まり、紅茶には砂糖を先に入れて溶かし、次にミルクを入れるのが順序だと仰言りたかった訳で、そういうところも忽にしない事、面目躍如だった。

 ふん、ほっといてくれ、スノッブが。
 その後もあまりおもしろくないエッセイが続く。ていうか、ほとんどがたいした話ではないのだ。なるほど年間ベストエッセイに選ばれているだけあって、そこそこ水準は保っている。しかし、それがどうしたの? という内容のものばかりだ。これが個人のエッセイ集だと、そこに自ずから著者の世界観が現れる。仮につまらない話でも集まれば著者の思想が見えてくるだろう。それがこのアンソロジーには当然ない。
 まあ、池澤夏樹結城昌治追悼文を読むことができたのだから良しとしよう。