高井有一『時のながめ』を読む

 高井有一『時のながめ』(新潮社)を読む。最近、といってもここ20年間に書かれたエッセイ集。高井は1932年生まれ、現在83歳。高井の著書は立原正秋の伝記『立原正秋』を読んだことがあるきりだが、とても良かった記憶がある。本書も期待に違わずすばらしかった。
 高齢の著者なので必然友人知人の追悼文が多くなる。三章に「逝きし人の記憶」としてまとめられているが、藤枝静男後藤明生江藤淳三浦哲郎立松和平、岡松和夫、秋山駿等々、いずれもとても良い追悼文だ。さらにそれとは別に「先立つ人を送る」という項があり、ここでは吉行淳之介渡辺喜恵子江國滋結城昌治渡辺浩子古今亭志ん朝柳家小さん三枝和子、小川国夫、茨木のり子らが追悼されている。
 吉行淳之介を追悼した文章で、立原正秋も吉行崇拝者の一人であったと書いている。

 ところが、私が評伝「立原正秋」を書いたあと、吉行さんからもらつた手紙には、「ぼくは終始立原正秋が好きでした。これは、深くかかわり合わなかったためとおもいます」とあつた。若しかすると、立原正秋は片想ひだつたのかも知れない。
 吉行さんが内心では決して優しくはなく、残酷で執拗な面を持ち合わせてゐた事は、付合いの深かつた阿川弘之氏が追悼文に書いていた。世の評判を裏切るやうな文章だが、それを読んでも私は別に驚かなかつた。作家ならば胸中に黒ぐろとしたものを抱へ込んでゐるのがむしろ当り前である。立原正秋とはまた別の意味で、吉行さんも自らの”役”を演じつつ生きた人ではなかつたのか、と思へてならない。

 結城昌治の項で結城の俳句を紹介している。
病者群れて蛇殺せるを見てゐたり
柿食ふやすでに至福の余生かも
古びても老いざるが雛あわれなり
ちやんちやんこ軽きを好み着慣れけり
夏痩せて首のあたりが老いしかな
 結城の句をさらに紹介している。
 金原亭馬生の早世を惜しんで
秋の水流れるやうに逝きしかな
 川上宗薫を送って
長き夜の眠れぬ瞼閉づるかな
 色川武大に先立たれたのちに
春の雲また遺されてしまひけり
 結城昌治の俳句も良いので引用してしまった。
 高井有一の文章は良い。その高井が名文家と定評のある志賀直哉の文章を批判している。

 確かに志賀直哉の文章は、自身の生理に根差した独特の勁いリズムによつて書かれてゐる。後進の規範とされたのもそのせゐだらう。余計なものはすべて削り落として、簡素で、強靭で、美しい。しかし一行一行を子細に点検してみると、いはゆる整つた名文とは違ふことに気が付く。「批評家はさういふ自分の立場を大変都合のいい事と考へて、勝手な事をいつてゐるが、実はこの事が寧ろ致命的な事だつたといふ事を知らないのだ」。このやうに「事」がやたらに出て来る。また「それは不意だつたが、後でどうしてそんな事をしたか、不思議に思ふのだが」といつた風に、一つの文節に「が」が重なる場合も尠なくない。それはグロテスクでさへある。

 こんなことはあまり他の作家や評論家は指摘しなかったのではないか。
 高井を読んだのは評伝とエッセイ集の2冊きりで、肝心の小説は1冊も読んでいない。どうも誰のものでも小説には触手が伸びないのだ。

時のながめ

時のながめ