街で見られた抽象絵画


 これは銀座の歩道の一部で舗装工事をしているところだ。養生している部分をアップで撮影したもの。一見抽象絵画のようにも見える。事実、ニューヨークの街角で壁のシミとか建物の一角などで、これと似たようなものを見つけて撮影し、銀座のギャラリーで個展を行った有名写真家がいた。
 ではこれは美術「作品」だろうか。その写真家は撮影した写真を展示していた。写真は描いたものとは違う。表面がツルツルしていて描写した作品にある物質性がない。いや写真としての物質性はあるが、写真の表面は透過的で視線はまっすぐイメージへ向かっていく。
 ここで参照されるのがデュシャンのレディーメイド作品だ。便器や瓶立てや自転車の車輪をこれが作品だとして提出している。街角の模様を撮ってこれが作品だというのと何が違うのだろう。もう一人写真家を参照する。渡辺兼人は何もないありふれた街角を撮影して、全く新しい写真の概念を提案した。その渡辺の写真と街角の模様の写真は何が違うのか。さらに森岡純という写真家は渡辺をもっと徹底させたような意味性が希薄な写真を撮っている。
 明確に言い得ないのだが、この街角の模様を撮影した写真を「作品」と主張するには、ここに何か付け加える必要があるのではないか。このままでは「作品」たりえていないと思う。これは単なるスナップに過ぎないだろう。この点についてもう少し考えてみたい。