校條剛『作家という病』がおもしろい

 校條剛『作家という病』(講談社現代新書)を読む。これがとてもおもしろかった。校條は「めんじょう」と読む。新潮社の月刊雑誌『小説新潮』の編集部に29年間在籍し、うち9年間は編集長を務めた。
 本書は21人の作家について、その人となりを表すようなエピソードを書いている。その作家たちについて、著者は「まえがき」でこう書いている。

 本作では「この名前聞いたことがないな」と首を傾げるような作家の名前もあるかもしれない。文芸好きな大学生に尋ねてもこの21人の名前の一つも知らないかもしれない。それでいいのである。(中略)
 この国の文学の世界とくに批評や文学賞では、売上と逆に純文学の作家ばかりが幅を利かしている。エンターテインメント、略してエンタメの作家のことを論じても反応が鈍いのは、そのせいなのである。本書で私が取り上げたのは、エンタメの作家ないしはエンタメの分野にも足を踏み入れていた作家たちである。私はエンタメ編集者として、この分野の作家たちの事績を伝えていく義務があると信じている。

 私が名前を知らなかったのは3人だけだった。読んだことがあったのは3分の1の7人だけだったが。
 最初に水上勉が取り上げられる。

 水上には、変にへりくだったかと思うと権柄ずくに威張って物を言う癖があった。要するに子供っぽさを残した人格だったのかもしれない。子供っぽさを隠してはいたが、隠す傍からそれは顔を出した。
 強い者には卑屈なまでに頭を下げることも、幼いころから世間の風にさらされて身についていたのだろう。
 石原慎太郎のエッセイに次のような記述がある。細かくは忘れてしまったが、文春が主宰していた文士劇の楽屋あたりの情景だったと思う。酒癖の悪いことで有名な小林秀雄が、水上勉を叱りつけている現場に石原が出くわしたエピソードだ。小林の難癖は、いつ果てるとも知れずしつこい。見るに見かねて、石原は「もう勘弁してやったらどうですか」と口を挟んだ。小林は、石原を強敵と見たか、一言捨て台詞を吐いて、水上を放免してやったという。水上は泣いていたというが、その内心はどうだったか。人生のどん底を経験しているという点では、水上のほうが小林よりも上を行っていたであろう。ウソ泣きだ、演技だとまでは言わないが、芝居じみた仕草が得意だったことは確かである。

 これを読むと作家の裏面を容赦なく暴露している際物と映るかもしれない。容赦ないのは事実だ。取り上げられている作家21人がすべて故人なのも、遠慮しなくて済むような選択なのだろう。田中小実昌の、明石に住んでいるという30代後半か40代に入っているような彼女について、

 初めて会った彼女の印象は、失礼ながら「もの凄いブス」だった。なにより頑丈そうな前歯の突き出し方が度を越していて驚いてしまったのだ。彼女も出っ歯を恥じているようにできる限り口を開けまいとしているように見えた。

 しかし、校條は容赦ないのであって、ゴシップをさらけ出そうとしているのではないことが、結城昌治を紹介する章で明らかになる。結城は戦後、結核清瀬の療養所に入院していた。そこで二人の師匠に出会い、それが結城の運命を変えた。一人は俳句の石田波郷であり、もう一人が福永武彦だった。福永からはミステリーを手ほどきしてもらった。

 福永の最初の結婚で生まれた息子は福永から見捨てられた形で育つが、自身も小説家となり芥川賞を受賞する。池澤夏樹がその人である。結城はともすればほどけて消えてしまいそうな関係の二人の間に入り、弱い立場の息子のほうのサポートに労を割く。結城は、常に弱き者の味方であった。

 結城が亡くなったとき、校條は講談社の先輩編集者から呼ばれ、二人で一緒にお葬式をだそうと言われる。夫人の意向を尊重して、自宅で告別式を行った。

 葬儀・告別式の日は真冬の冷たさが骨まで沁み透るような曇り空だった。近親者以外には、表の道路で焼香の時間が始まるのを待っていただいた。特別親しかった人たちは家のなかに誘導したのだが、そのなかで私のたびたびの誘いを断って、外でじっと開式を待つ二人がいた。一人は当時の中央公論社会長嶋中鵬二であり、もう一人は池澤夏樹だった。

 校條は『小説新潮』の1996年3月号に掲載する結城の追悼エッセイを3人に依頼した。そのうちの一人が池澤で、「石松の論理」と題されたその文章には結城への感謝の念があふれていた。

 父福永武彦との間を取り持ったのは、結城と堀辰雄夫人の二人だったと、池澤は書く。そして、福永が危篤となったときに、池澤にそれを知らせたのは結城であり、二人で信州の病院に駆けつけたものの死に目に会えなかったのだという。
〈その後の葬儀と相続に際して、福永のただ一人の子供というぼくの立場を確立するために結城さんは何度となく世間と掛け合い、ぼくにはその時々的確無比のアドバイスを与えてくれた。〉
 そして、池澤は頭(こうべ)を上げるように言う。
〈一言でいえば、倫理の人である。いかなる権威も後に背負わない徒手空拳の倫理。ほとんど本能的に力なき者の側に立つ。〉
 池澤の追悼文を読み返すたびに私は、いつも泣いてしまう。

 いままで一度も読んだことがなかった結城昌治を絶対に読もうと思った。池澤夏樹のその追悼文も見つけよう。
 この後もユニークな作家たちの紹介が続く。上記以外に取り上げられている作家たちの名前のみ記せば、渡辺淳一城山三郎藤沢周平、伴野朗、山口洋子久世光彦井上ひさし都筑道夫綱淵謙錠遠藤周作北原亜以子吉村昭山際淳司、楢山芙二夫、多島斗志之黒岩重吾西村寿行、山村美妙となる。


作家という病 (講談社現代新書)

作家という病 (講談社現代新書)