丸谷才一『快楽としての読書 日本篇』を読む

 丸谷才一『快楽としての読書 日本篇』(ちくま文庫)を読む。丸谷の日本の書評の集大成、海外篇は別に編集されている。取り上げられた書評が123篇、1964年から2001年に書かれたものから選ばれている。書評の大家が紹介しているので、また読みたい本が20冊以上も増えてしまった。まず、冒頭の書評論「書評と『週間朝日』」から、

戦後、日本人は、達意平明で機能的な文体をやうやく発見した。これは週刊誌ばやりがもたらしたものだと司馬遼太郎は言つてゐるが、じつに鋭い指摘と言はなければならない。そして週刊誌の広汎な読者にわかる文体が工夫され、普及した結果、普通の読者のための一般教養書はどう書けばいいかがわかつたのだつた。

 鹿島茂『セーラー服とエッフェル塔』(文春文庫)について、

 一見したところ軟かい随筆をずらりと集めたやうに見える。そして事実その通りである。ビデについての考察、ペニスの長さについての説などはまさしく艶笑読物。パリの焼き鳥横丁論や紅茶vs珈琲論はいはゆる食味随筆。これは男たちが一杯やりながらの話題を満載した本で、その種のものとして第一級に属する。しかし鹿島茂は複雑な男だし、彼の書く本は常に一筋縄ではゆかない。それは多層的な構造になつてゐて、滑稽談笑の層の下に雑学的考證の層があり、その底には思考の方法を教へるアリストテレス的な層が控へてゐる。

 紀貫之編集の『古今和歌集』から『新古今集』までの8つの勅撰集は、八代集としてすこぶる重んじられた。しかし八代集に収める和歌の総数は9,440首もある。たいていの人は読み切れない。そこから藤原定家が秀逸として1,809首を選んだのが『定家八代抄』、それに樋口芳麻呂、後藤重郎が注を添えたのが『定家八代抄』上・下(岩波文庫)だとして、「現代日本人が王朝和歌を読むに当つての最も正統的な、そして最良のテキストとなるはずだ」と書く。そして最後にちょっと付け加える。

 勅撰集編集のコツは、読者が息抜きできるやう、ところどころに地歌(いささか劣る詠)をあしらふことだといふ。『定家八代抄』の欠点は、地歌がなく、絶唱ずくめだといふことかもしれない。

 『編年体 大正文学全集』第1巻、第2巻(ゆまに書房)の書評では興味深い記述がある。

 しかしこのすぐれた全集に一つ重大な欠陥がある。大正天皇の和歌を逸してゐることである。たとへば筑摩版『明治文学全集』全100巻は明治天皇御製を1首も収めないが、わたしはこの態度に賛成する。あの帝は量の面における大歌人だからである。大正天皇の場合はまつたく違ふ。たとへば『御集』大正時代の冒頭、「3月8日庭にて鶯の鳴きけるにこもりゐたる萬里小路幸子がまゐりければ」と詞書のある、
  鶯やそそのかしけむ春寒みこもりし人のけさはきにけり
は、「更衣、さとよりまゐりけるあした」の光孝天皇の詠、「梅の花ちりぬるまでに見えざりしひとくとけさは鶯ぞなく」に学びながらその上をゆく絶唱であつた。

 結城昌治『泥棒たちの昼休み』(講談社文庫)を評して、

 第一、舌を巻くしかないくらゐ文体がよかつた。常に事柄がすつきりと頭にはいつて、文章の足どりがきれいだつた。あれだけの上手はいはゆる純文学のほうにもさう大勢はゐないと一部では認められてゐた。これは結城自身もひそかに自負してゐたのではないか。

 読み始めて配列が不思議だった。これは著者の名前の五十音順になっていた。だから、私の好きな吉行淳之介吉田秀和も最後になるまで見当たらなかったのだ。


快楽としての読書 日本篇 (ちくま文庫)

快楽としての読書 日本篇 (ちくま文庫)