鬼海弘雄『東京夢譚』を読む


 鬼海弘雄『東京夢譚』(草思社)を読む。鬼海は筑摩書房のPR誌『ちくま』の表紙の写真を担当している。主に浅草寺にやってきた人を多分ハッセルブラッドというブローニー判(6x6cm)のフィルムを使う中型カメラで撮っている。モノクロ写真だ。
 この表紙に取り上げられるモデルは変な人が多い。鬼海はたまたま出会った人に声をかけて撮るらしいが、まともな人には声をかけていないみたいだ。5月号の『ちくま』の表紙は、「休日のサラリーマン」とキャプションがついているけれど、それは自己申告だろうから、そのまま受け取るのは躊躇してしまうような風体だ。

『ちくま』5月号表紙

 『東京夢譚』は東京都内かせいぜい近郊の建物というか、街の一角を撮っている。とくに目立った場所ではないし、人もほとんど写っていない。そういう意味では渡辺兼人の写真に近いが、鬼海の写真はちょっとだけ変な感じがするところが渡辺と異なる。鬼海の写真には少し意味が感じられるのだ。渡辺の写真が「意味」に関してぶっきらぼうなのと違って。ここに引いたのは「墨田区横川 1982年」とキャプションが付けられている。ずいぶんとボロ屋でトタン板だかベニヤ板だかであちこち補強されている。右下に猫の半身が写っている。

 また本書には、鬼海のエッセイが上下2段組で56ページ付いている。ゆっくり1段組にすればほぼ100ページになるだろう。すべて街歩きのことを書いている。その文体も写真に見合ってとても良い。

 ぽつぽつ歩いていると、目の前に西瓜の模様のついた大きなビーチボールがころがってきた。続いてサンダルのカタカタという音が響いてくると、すぐに虹色のタンクトップにジーンズのショートパンツを穿いた若い女が横丁からあらわれた。拾い上げていたボールを渡すと、黄色い髪の女はちょこんと頭を下げて、横丁に戻って行った。右の二の腕にKENJIという刺青が彫られていた。
 女が戻った横丁には、いまどき珍しい丸坊主に刈った、腕白という漢字がまるごと体になったような2、3歳の男の子がボールを待っていた。きっとKENJIとの子どもだろう。たぶん、若い夫も髪をハデに染め、だが体を惜しまないで働くおニイサンに違いない。

 鬼海はインドやポルトガルなど、海外にも何度も行っているらしい。

 トルコの旅は今回で5回目だ。ほぼ10年前に初めて行ってから、延べにして270日を超えただろう。はなから観光地には興味がないので、歩き回るのは内陸の標高千メートルを超す台地の町や村ばかりだ。クルド人たちが淡々と暮らす土地も何度もたずねている。別に知り合いを作ってたずねているわけではない。

 なかなかおもしろい写真集だった。鬼海はこれまでも、日本写真協会賞新人賞や伊奈信男賞、土門拳賞、日本写真協会賞年度賞などを受賞している。1945年うまれのベテラン写真家なのだ。他の写真集も見てみたい。



 

東京夢譚―labyrinthos

東京夢譚―labyrinthos