鬼海弘雄『誰をも少し好きになる日』がすばらしい!

 鬼海弘雄『誰をも少し好きになる日』(文藝春秋)を読む。これがとてもすばらしい。『文学界』の2011年9月号から3年間連載したもの。連載時の形は分からないが、本書ではエッセイが3ページに写真が2葉2ページという構成になっている。鬼海の写真は何度も見てきたが、いずれも興味深い。浅草寺の境内で市井の人をもう40年以上撮影している。その写真集も何冊も作られている。何年か前は1年間雑誌『ちくま』の表紙にも使われていた。今回はそれらの写真とインドなどの写真を使っている。エッセイと写真は必ずしも関連しない。
 さて、このエッセイが舌を巻くほど巧いのだ。わずか3ページという少ない分量で、知人であったりわずかに接触した人たちの人生をみごとにスケッチしている。
 鬼海はある日の午後3時近くに現像作業を終えて多摩川に散歩に出かけた。

 草木の生い茂る小径からは見えないのだが、一段高い所にあるグラウンドから野球の試合をしている少年たちの声が聞こえる。しばらく進むと、今度は曲がり路の先から金属で石を叩く音が間をおいて届いてきた。視界が開けると、キャップを後ろ前に被った初老の男が屈み込んで数匹の猫たちに缶詰を与えていた。
 2匹の黒い子猫がまじっていたので、「かわいいね−」と声を掛けた。振り向いた男の射すくめるような眼差しにたじろいだ。「家にも年老いた猫がいてね〜」と取り繕うと、男の目つきはがらりと変わり、急にやさしくなった。
 しばらく猫談義をしていると、男は以前この場所に小屋を立てて住んでいたのだが、酒を呑んでいた仲間と些細なことで喧嘩になり、転んだ相手の頭の打ち所が悪く殺してしまったと言った。刑期を終えて出所すると、小屋は取り壊されていたが、飼っていた猫はどこかの小母さんが河原の藪で面倒を見ていてくれて、この黒猫たちは飼っていた三毛猫の孫なのだとぼそっと言った。男の腕には真新しいディズニーの腕時計が巻かれていた。そのバンドはグリーンのプラスチック製。
 離れた場所に立つ満開の栗の木から、あの花の独特な臭いを運んでくる風が吹いている。

 こんな短い断章で鬼海はひとりの男の肖像をスナップしてしまう。
 最後に書き下ろしの「一番多く写真を撮らせてもらったひと」という章がおかれている。鬼海がお姐さんと呼ぶ女性を、1991年11月23日に浅草で見かけて声をかけてから21年にわたって撮ってきた。連載中も1章を割いて「浅草のジェルソミーナ」と題して取り上げている。そのお姐さんが暮れに亡くなったと友人からメールで教えられた。鬼海は浅草に行ってお姐さんがいた場所に立った。「いつも時間を過ごしていた興業街の入口の、車輛進入禁止の衝立の周りには、たくさんの小さな花束や飲み物などが供えられていた」。お姐さんは「たちんぼ」だったと明かされる。
 私も鬼海のような文章がかけたらいいのに。


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