二笑亭という奇妙な建物

 椹木野衣アウトサイダー・アート入門』(幻冬舎新書)に二笑亭という奇妙な建物が紹介されていた。これを作った渡辺金蔵アウトサイダー・アーチストに分類されている。それで興味を持って、そこに紹介されている式場隆三郎ほか著の『定本 二笑亭綺譚』(ちくま文庫)を読んだ。
 式場は精神病理学者で山下清を世に出した人だ。ゴッホを早くから紹介している。二笑亭と名づけられた建物は、関東大震災のあとに東京深川に渡辺金蔵によって作られた。建物が概ね完成した段階で、渡辺が家族によって精神病院へ入院させられたため、二笑亭が完成することはなかった。渡辺は精神病院で亡くなり、建物も同時に取り壊された。
 渡辺が入院させられて建物が取り壊しになる前に、噂を聞いて式場隆三郎が建築家の谷口吉郎とカメラマンを伴って調査し、それが『二笑亭綺譚』として戦争直前の昭和14年に発行された。
 最初の本は長く絶版となっていたが、昭和40年に今野書店から「決定版」と題されたものが発行された。ついで昭和64年に求龍堂から本書の元になる『二笑亭綺譚−50年目の再訪記』が刊行された。すでに式場隆三郎は亡くなっていたが、本書では息子の式場隆成、建築家の藤森照信、画家で小説家の赤瀬川原平らがその後得られた知見をもとに詳しく検証している。1993年、それに増補してちくま文庫版『定本 二笑亭綺譚』が発行された。
 まず口絵として44ページにわたる当時の写真が掲載され、中ほどには再現模型を写したカラー写真が15ページも載っている。実に奇妙な建物だ。建築家の谷口吉郎が「二笑亭の建築」と題してその概略を紹介している。

 例えば、太い一かかえもある程の檜丸太を輪切りにして並べた縁側らしいものがあるが、それは何のために作ったものか全く判断に困るものである。賽の子縁のつもりかも知れないが、そのスケールの桁がはずれた形態感は、何か巨大な怪物が舌をなめずり廻しているようにも見える。或いは1本の値段が数百円もするだろうと思われる立派な桜の幹を、惜しげもなく長押に使っているのにも、度肝を抜かれてしまう。そうかと思うと深さが5寸ほどしかない浅い押入があったりして笑わされる。階段も、非常に勾配が急で、その上、廻り階段になっているので、毎日これを昇り降りした足は、獣のように強かっただろうと想像させられる。物のかげから、丸太ン棒のような大きなすりこぎが出て来て、驚かされもする。
(……)木造の建築でありながら、到る所丈夫な鉄材で、がんじがらめのように補強されている。入口を這入ったすぐの広間などは、一寸見ただけではわからなかったが、床がひどく堅いので、よく見ると、床全部に厚い鋼鉄板が敷きつめてあって、軍艦の甲板よりも丈夫であったりする。浴室の壁には、2吋(約5cm)の鉄パイプが竹の建仁寺垣のように一面に立て並べてある。特に可笑しいのは、奥の2階にある日本間には、畳のへりが鉄になっていたり、土蔵の中には登れない鉄梯子が垂直に立っていたりしている。裏木戸も厚い樫の扉だが、それも厳重に補強されていて、城門のようにいかめしい。

 畳の縁が鉄だなんて想像を絶する。
 また、Wikipediaにも二笑亭の特徴が箇条書きで紹介されている。

1. 敷地95.7坪に対し、建坪は約67坪(尺や間といった建物の単位に従っていない)
2. 木造2階建てにもかかわらず、物置と炊事場は鉄骨造
3. 正面二階の位置に配されたはめ殺しの大きなガラス窓三枚
4. 入り口に置かれた鉄製の半円形の雨よけ
5. 裏門に、出入りの邪魔になるように置かれた菱形の枠(◇の形)
6. 鉄棒をずらりと立てて作られた塀
7. ガラス入りの節穴窓を空けた室内の壁
8. 和式洋式の風呂を隣に並べた和洋合体風呂
9. 屋根をこえてただ単に空に伸びたはしご
10. 傾いた違い棚
11. 土蔵の中の床から天井に伸びる昇れないはしご
12. 奥行きが異常に浅く使いようのない押入(家族の証言によれば、元は普通の押入だった。関東大震災後の区画整理計画を渡辺が拒み続け、建物の側面が強制取り壊しとなったことによる)
13. 中庭の離れに置かれ、扉が下半分しかない便所
14. 左右とも口を閉じた狛犬 など

 本書「50年目の再訪記」では式場隆三郎の息子の隆成が茶室という視点から二笑亭を分析し、藤森照信は建築史のなかに位置づけている。藤森が参照するのは、二笑亭と同時代に作られたマヴォ理髪店、吉行美容院(吉行淳之介の母の店)、それに戦後の石山修武「幻庵」等々だ。この章には赤瀬川原平の小説「毛の生えた星」も収録されている。「大ガラス」の美術家デュシャン二笑亭を訪ねたという設定だ。これがつまらなかった。赤瀬川は想像力に難点があるのではないか。
 とても興味深い本だが、長く絶版のようで残念だ。資料が少ないのかも知れないが、新潮社の「とんぼの本」の体裁で再刊できないだろうか。


定本 二笑亭綺譚 (ちくま文庫)

定本 二笑亭綺譚 (ちくま文庫)