桂米朝×筒井康隆『対談 笑いの世界』を読む

 桂米朝×筒井康隆『対談 笑いの世界』(朝日新聞社)を読む。米朝文化功労者、筒井が紫綬褒章を受賞したのを記念して、朝日新聞の2003年の正月に掲載するため行われた対談。それが二人が興に乗って何時間も話し、それでも足りなくて改めて場所を替えて再度対談を行った記録だとある。朝日新聞の担当や上司の面々が10人近くも聴講することになった。序談で筒井が書いている。

(……)何しろ聴衆がたくさんいて、何か言うたびにいちいち大笑いし、抱腹絶倒してくれる。わたしも役者だし、むろん師匠は芸人ですから、受けてくれる人がいるとついサービスしてしまい、さながら競演会のようになってしまいました。朝日の人たちは大いに笑いころげ、ついには気が違ったような状態に陥ったこともしばしばでした。

 いや、こんな風に書かれたら期待しない方が難しい。だが、実はそれほど面白いわけではなかった。おそらく、生で聴くのと活字を読むのとの違いだろう。周りに大勢いて笑っていればそれは伝染もするだろうし。とは言うものの面白いところは数々あった。

米朝  (……)今の文枝君の師匠の文枝さんなんて人は、ええ男でね。(中略)
 この文枝さんにその楽天館の娘が惚れてね。「養子に来てくれ」言うんで、文枝さんは「大阪へ相談しに帰る」「そらそうや。当然、相談してきてくれ」誰かて親や兄弟に相談してくる思うんやが、嫁はんと相談しよった(笑)。「しばらく行ってきたらいかんやろか」(笑)。「二度と行きなはんな! あんたはもう!」(笑)……面白い人でした。

 昔は講談師が学校まわりをしていたという。大長老の旭堂南陵なども。

筒井  それが演目がいつも同じで「難波戦記」の「清正の髯汁」。あれがきらいでね。
米朝  汚い話で、何回聞かされたかわからへん。
筒井  初めはもっと真面目なんをやってたんやけど、子供が退屈しよんねんやな。で、あんなやつをね。
 −−それはどういう話?
米朝  茶の湯の話。
筒井  「秀吉の茶会」でしたか? 「難波戦記」の。
米朝  秀吉が死んだあとの話やな。本多佐渡守がね、大名を接待するんや。福島正則加藤清正加藤嘉明やとか、いわゆる賤ヶ岳七本槍みたいな連中を招待して茶をやる。みんな結構茶人であるのにかかわらず、この話では茶のことは何も知らんという設定にしてある(笑)。で、細川幽斎が、わたしのやる通りにやったらいいと言うと、みんながスカタンな間違いをするという、いちばんセコいネタや(笑)。
筒井  茶碗をまわして飲むわけですが、最初は福島正則か誰かが、熱かったんで、全部吐いてもどしてしまう(笑)。風邪ひいてて洟を落とすやつとか、だんだん汚くなる(笑)。加藤清正は胸元から茶碗をせりあげて、ふと見ると茶碗の中がまっ黒。髯が全部浸かっている。で、これをジューッと手で絞りよるんですわ。汚い話(笑)。最後の者は全部飲まないかん(笑)。
米朝  お念仏を唱えて飲むんですわ(笑)。

 次は悪食の話。

筒井  (……)悪食は戦後もずっとあとまでやってたんですよ。橿原神宮行って、松毛虫落として、食べたりね。
米朝  松毛虫のつけ焼きというのはおいしかった。あれはうまいですよ。
筒井  食べはったんですか?
米朝  食べました(笑)。(中略)
筒井  どんな味でした?
米朝  これはほんとにね、つき出しなんかに出されたら喜んで食べる。毛を焼くところから見てるから、あんまり気持ちはええことなかったけど(笑)、これはうまかった。
 女郎蜘蛛の天麩羅とかね(笑)。コロモつけてね、糸引いてるやつをギュイーンとね(笑)。これもまだ食べられた。足が1本口の中へ残ったけどね(笑)。
 ミミウニちうのもあった。ミミズのウニ和え(笑)。

 松毛虫がうまいんだ! 私はカミキリムシの幼虫の焼いたのは好きだったけど、もう55年くらい食べていない。でも機会があればまた食べたい。だから松毛虫がうまいと言われたらそうかもしれないと思ってしまう。


対談 笑いの世界 (朝日選書)

対談 笑いの世界 (朝日選書)