金井美恵子エッセイコレクション4『映画、柔らかい肌。映画にさわる』

 金井美恵子エッセイコレクション4『映画、柔らかい肌。映画にさわる』(平凡社)を読んでいる。厚い本で600ページを超えている。その第1章「映画、柔らかい肌」を読んだところだが、その2/3が「金井美恵子インタヴュー1982」となっていて、聞き手は映画評論家の山田宏一だ。この時金井は35歳、山田は9歳年上だがなぜかタメ口。相変わらずの毒舌が小気味いい。

−−『イージー・ライダー』はそれなりに衝撃的な映画ではあったと思うけれど、でも、ニューシネマ以後、アメリカ映画という感じがしなくなったでしょう。実はそれこそが真のアメリカ映画で、それ以前のはハリウッド映画ということになるわけだけど、でも、やっぱり……。
金井  なんかねという感じで、いつもがっかりするのよね。『タクシー・ドライバー』(マーティン・スコセッシ監督、1976)なんかも、前半はいいけど後半はもういやだとか、そういうふうになっちゃうし。ロバート・アルトマンもそんなに好きじゃないんだけれども、『ナッシュビル』(1975)は面白かったね。すごく刺激的な映画だったよね。『M★A★S★H・マッシュ』(1970)を見て大嫌いだったの。不作法でさ。
−−やたらノッポの男が二人して、猫背ふうに方をすぼめて、ひとを見くびるようにのし歩いていてね(笑)。
金井  笑わせるところが無神経で、筒井康隆的な鈍感さがあったね(笑)。だけど『ナッシュビル』はすごく面白い。

金井  オムニバスの映画って、わりとフランス映画に多いでしょう。オムニバスの形式ってつまらないと思うの。だってデュヴィヴィエなんかが名手だと言われているわけで、『舞踏会の手帖』もそうだし、『運命の饗宴』もそうだけど、通俗的でさ、才気があることはあると思うんだけど、何か木下恵介とか市川崑のほうが真似してるんだろうけど。いちおうそれなりに、なんとなく才気があるって撮り方をしているわけじゃない? クロード・ルルーシュが悪しき伝統を受けついでいるよね。通俗的才気。ちょっと才気ばしったような感じの。いろんな意味でオムニバス映画というのはつまらないと思うけど。
−−オムニバス映画というのは、フランスのコントの洒落た映画的形式のようにみなされてきたわけだけど……。
金井  (中略=オムニバス映画というのは)ある種の才気の表し方ではあるわけで、だからいまだって、大嫌いなユダヤの才人、ウディ・アレンなんかもつくっているじゃないのよ。なんか長ったらしい題名で、ウディ・アレンの『SEXの全て』なんてのがあるでしょ。
−−『ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう』っていうのが正式なタイトル。
金井  そうそう(笑)、あれもとてもいやな感じの映画だった。才気の見せどころというのはいっぱいあるわけで、いろんな映画のパロディの形で一話一話をつくっているわけでしょう。おまけに、他の映画だって、セリフが多くて、それが全部嫌味でさ、自分の性格の悪さをひとひねりして肯定しちゃうのよね。それにウディ・アレンの見た目が嫌いなのね。俳優じゃなくて醜優よね(笑)。生意気な態度、知ったかぶりの。なんか気の利いたことを言うというところがいやなのね。インテリぶったようなさ、ひっぱたいてやりたくなるというか(笑)、蹴飛ばしてやりたくなるというか(笑)、ウディ・アレンそっくりの日本人もいっぱいいるけどね(笑)。先進国と言われている国の都会に住んでいる、ある種のインテリの屈折したつもりの実はてんで直情的で単純なナルシシズムをくすぐるのよ、あのテは(笑)。

金井  チャールストン・ヘストンって、いつも脱ぐでしょう。脱がなかったのは『三銃士』のリシュリューがはじめてじゃない? 上半身なり下半身なりを見せなかったのは。あれは枢機卿だから赤ずくめの衣装でね(笑)。『華麗なる激情』(キャロル・リード監督、1965)のミケランジェロの役なんかでも脱いじゃうんですものね。胸にわざと傷を受けて見せちゃうんですもの(笑)。ミケランジェロというより、ダビデだよね。
−−セックス・アピールを売り物にしていたスターだったから契約として脱がなきゃならなかったんですよ(笑)。
金井  女優だけじゃないのよねえ(笑)。昔からずっといたでしょ。必ず脱いで筋肉を見せるというのは、やっぱりハリウッドの特徴じゃない?
−−ヴァレンチノとか、クラーク・ゲーブルとか。
金井  彫刻的なやつね。胸筋だの、何とか筋だのがはっきりしているという体つきの。スティーブ・リーヴスみたいになっちゃうと、ちょいとね。
−−ミスター・ユニヴァース(笑)。最近ではチャールズ・ブロンソンとか。筋肉もりもり。『ロッキー』(ジョン・G・アヴィルドセン監督、1976)のシルヴェスター・スタローンとか。
金井  いやね、あれ。ポール・マッカートニーの顔に筋肉つけたみたいで(笑)。

金井  (……)さっきの描写の話に戻るけど、映画で風景が長ったらしく映ったりするのは嫌い、ということはあるね。それもね、ある感動を表現してあらわれたりするのはね。『八甲田山』(森谷司郎監督、1977)とか、あのテのタイプの恥知らずの映画でさ。(後略)

 金井美恵子の舌鋒は容赦ない。金井は2歳か3歳くらいのときから、映画好きな母親におんぶされて映画を見まくっていた。だから映画に関する蘊蓄は並ではない。ただ、映画の美学、映画自体の美しさ、映画のドラマツルギーに深い思い入れがあって、それの完成度が低い作品は徹底的に貶すけれど、映画作品のもつメッセージ性には無関心なように思われる。
 たまたま今日(5月26日)の朝日新聞に今年のカンヌ国際映画祭の審査について編集委員が書いていた。今年の受賞作は「ゴリゴリの社会派作品が圧勝する受賞結果となった」。

 イタリアのパオロ・ソレンティーノ監督の「YOUTH(若さ)」や中国のジャ・ジャンクー監督の「山河故人」は、受賞作に勝るとも劣らない傑作だが、彼らの過去の作品に比べると社会性が足りないと判断されたか。是枝裕和監督の「海街diary」も同じことが当てはまる。今回は審査員との相性が合わなかったとしか言いようがない。

 金井はその真逆で社会性はあまり重視していないように思われる。どちらでなければならないというものでもないが、映画も小説も様々な要素があり、評価軸もひとつには絞れないというジレンマがあるだろう。
 また最初に指摘した金井が9歳年上の山田にタメ口をきくのは、昔テレビで見た内田光子吉田秀和の対談を思い出した。子供の頃親の転勤に伴ってヨーロッパへ行き、そのまま日本に帰ることなくあちらで活躍するピアニストになった内田は、老吉田の前で足を組みタメ口だった。
 もう20〜30年前のこのことをしつこく憶えているのは、それなりに私も礼儀に拘泥するいやなジジイなんだろうか。
 本書はこの第1章でやっと全体の1/4、お楽しみはこれからだ。