埼玉県の高麗へ行く


 先日埼玉県日高市の高麗に住む友人を訪ねて行った。西武池袋線高麗駅飯能駅から秩父方向へ2つ目の小さな駅。駅前には赤い2本の柱が立っていて「天下大将軍」「地下女将軍」と書かれている。これは将軍標と言って朝鮮・韓国の村落に見られる境界標(道祖神)で、日高市の高麗神社のものが有名だという。この辺りは1300年前に、朝鮮からの帰化人が入植した土地なのだ。今回は訪ねなかったが高麗神社もある。
 ここに住む友人の話では、戦前この辺りの人は近衛兵になることができなかったという。近衛兵は天皇直属の部隊だからと、帰化人の子孫を排除したのだろう。そんなことを考えたのはおそらく山縣有朋あたりだろう。




 駅から友人宅への道を辿ると、ムラサキツユクサ(紫露草)、ヒルザキツキミソウ(昼咲月見草)、ユウゲショウ(夕化粧)などが咲いている。ナワシログミもなっていた。

 途中、「水天の碑」なるものがあった。これは江戸時代に繰り返された干魃や大洪水、水難事故などを鎮めるために台村の人々が建立したものだという。

 高麗川を渡る鹿台橋から下流を見る。この先に彼岸花で有名な観光地巾着田がある。

 友人と近所を散歩する。日和田山(標高305m)の途中に、先月熊の足跡らしいものが確認された、注意するように、との看板が掛けられていた。山道はきついので巾着田を目指す。


 アーティチョークがなっているのを初めて見た。まだ食べたことはない。ブルーベリーの果樹園があった。直販しているようだが、1キロ2,000円とか書かれていた。

 巾着田には水車があった。昔私が産まれた村には水車があって石臼で粉をひいていた。ここはもちろん観光のための施設だから水車は無駄に回っていた。
 高麗錦の万葉歌碑が立っていた。横に日高市教育委員会が立てた説明板が立っている。

高麗錦 紐解き放けて 寝るが上に
何(あ)ど為(せ)ろとかも あやに愛(かな)しき


 この歌は万葉集の東歌の一首で「高麗錦の紐をといて共寝もしたのに、まだ恋しさが増す。この上、一体何をすればよいのか。ふしぎなほどに愛らしいことよ」という意味である。どんなに愛しても際限がない愛の歓びと切なさを大らかに歌い上げた秀歌である。

 ううむ、ずいぶんエロチックな歌だ。「どんなに愛しても際限がない愛の歓び」なんて日高市教育委員会はなかなか粋ではないか。


 振り返れば日和田山が見える。その日和田山から見える巾着田の写真のパネルがあった。なるほどまさしく巾着の形をしている。