朝日新聞夕刊の連載コラム「人生の贈りもの」で岡井隆が自分の転向について語っている(2月26日)。この連載コラムは著名人に自伝的なことを語らせるというもので、この日は岡井隆の9回目の語りになる。
(前略)
−−かつてのマルキストが、どのようにして天皇制を受け入れるようになったのですか。
70年に蒸発して九州へ行ったあとで考え方を変えました。たしか75年から80年あたり、つまり50歳前後のときに思想転向したんです。その結果として(皇居の)歌会始の選者をお引き受けしました。1年くらい考えた末に、ですけどね。
−−それにしても、なぜ?
自分としては、伝統的なアララギのような歌のあり方を批判することによって、前衛短歌の道を開いたつもりでいた。ところが、あんなに革新的なレトリックを使って歌をつくってみて分かったのは、前衛短歌もやはり定型詩であり、韻律が何よりも大事であるということ。前衛的な内容をいくら盛り込んでもいいけれど、根本はそこだとつくづく思ったんです。だから、万葉集以来ずっと流れてきた和歌の伝統というものを大事にしなければいけない、と。
−−あ、まずは歌から。
短歌に関する考え方についての思想転向が、結局は日本文化全体に対する思想転向になっていきました。ぼくみたいに若いころ天皇制を否定していた左翼の人間が、転向したわけです。
日本の文化人って、転向しても理由を述べない人が多いねえ。あれはやっぱり書くべきだと思いますよ。説明責任があります。ぼくはその理由について、いろんな機会に「自分は若いころには分かっていなかった」とちゃんと書きましたよ。それを経たあとは、ずーっと揺るがない。その一つの表れとしての歌会始です。
(後略)
インタビューアーは磯村健太郎。
塚本邦雄が『秀吟百趣』(講談社文芸文庫)で選んだ岡井隆の短歌。
はじめての長髪剛きやさしさやとどろく秋の風にあゆめば
『岡井隆歌集』(国文社、1977年刊)より拾ってみた数首。
警官に撃たれたる若き死をめぐり一瞬にして党と距たる
汚れつつ内部をくだる卵ありて暗澹と砂みつめいる牝
片膝つくはやがて両膝つかんため ゆつくりと耳血を噴き棄てて
じりじりとデモ隊のなか遡行するバスに居りたり酸き孤独噛み
限りなく那覇は遠のき誰ならむ啼きながら狩りたてられゆくは
宰相を刺せ、しからずば真夜の深さや 一指だに染めえずと知る夕映小道
俺はひとりの男にすぎぬ逃げるなよ金だらいなぞ持つて廊下へ
政治へとなだるるごとくありし日に眼はすでに見ず未来のどこも
岡井の転向説明、いろいろ突っ込みどころがありそうだ。
- 作者: 岡井隆
- 出版社/メーカー: 国文社
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