『ねこの秘密』を読む

 山根明弘『ねこの秘密』(文春新書)を読む。著者は北九州市自然史・歴史博物館の学芸員で、学生時代からノラネコの研究を続けてきた。動物学者が書いた猫の生態に関する(というと難しそうだが実は)易しい猫の入門書だ。猫好きならとても参考になって楽しい。
 山根は大学院生のころ、福岡県の玄界灘に浮かぶ相の島でノラネコの研究をしていて、島に棲む200匹の猫全部に名前をつけて個体識別していた。筋金入りのノラネコ研究者なのだ。
 だから猫の生態に関する話は伝聞や文献からのコピーなんかではなく、実際に自分が研究したユニークで大変興味深いものばかりだ。「モテるメス、モテないメス」という節では、

 メスの発情は、数匹のメスで同時におこることがあります。そのなかには、たくさんのオスに囲まれて求愛を受けるメスもいれば、あまり求愛されないメスもいます。その違いは、メスの若さや繁殖の経験のようです。仔ねこを産み無事に育て上げたことのない、あるいはそういう経験の少ない若いメスは、オスにとってはあまり魅力がないようです。それとは逆に、これまで何度も繁殖し、仔ねこを何匹も無事に育て上げたことのあるメスは、たくさんのオスから求愛を受けることになります。人間の場合とは逆とは言いませんが、オスによるメスの魅力の判断基準は人間とねことでは少し違うようにも思えます。

 もう20年ほど前になるだろうか、娘が夢中になって読んでいた本に伊沢雅子『ノラネコの研究』という小学生向けの絵本があった。やはり動物生態学者が書いたもので、ノラネコを追いかけて研究していることを絵本仕立てで書いている。24時間ノラネコを追跡して生態を観察するという方法も紹介されていて、深夜ノラネコの後を付けて歩き、ノラネコが眠るとその近くで何時間も待機するという結構過酷な内容だった。娘が自分も24時間観察をしたいと言い出して、それは危険だし、親が付き添うのも大変すぎるのでやっと思いとどまらせたのだった。
 でも、この内容でヤングアダルト向けに、写真で見せるノラネコの生態の入門書を出版できないかと企画した。絵本の著者は沖縄大学に勤める動物学者だったので、その企画を提案すると、すぐに断りの手紙が送られてきた。いま、沖縄では天然記念物のヤンバルクイナなどが、ノラネコの被害にあって問題になっている。とてもノラネコの生態について(好意的に)書ける状況ではない、とのことだった。
 伊沢さんへの執筆依頼をあきらめて、次に京大の昆虫学者日高敏隆氏に相談した。日高氏は昔指導した女性の研究者を推薦してくれた。彼女はつくば市に住み、現在は家庭に入って子育てをしていた。自宅へ伺って執筆を依頼すると、1年間時間をほしい、前向きに考えてみるとのことだった。1年後、執筆の経過をうかがうべく自宅を訪ねた。実は子供を私立小学校へ入れることにして、そのお受験の準備をしなければならなくなった、とても本を書くゆとりがないと断られた。
 ついで部下の担当者が見つけてきたのが本書の著者山根さんだった。北九州市博物館へ何度か訪ねて、執筆を承諾してもらった。相の島の猫200匹を個体識別したという話も担当の者がそのとき聞いてきた。出版を楽しみにしていたが、私は会社を離れることになってしまった。
 それから10年近く経っただろうか。最近、昔の部下に会ったとき、あの猫の本がどうなったか聞いてみた。「すみません、私の力不足でした」というのが彼の答だった。残念だった。その2カ月後くらいに新聞広告で本書の出版を知ったのだった。
 優れた著者を得て、良い本に仕上がっていると思う。でも、やっぱりこれがカラー写真をふんだんに使って構成されていればと、未練たっぷりに思うのだった。


ねこの秘密 (文春新書)

ねこの秘密 (文春新書)

ノラネコの研究 (たくさんのふしぎ傑作集)

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